主人公の暗黒への転落や葛藤を見事に描いた『デューン 砂の惑星 PART2』は非英雄譚


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Text:竹島ルイ
シリーズ映画において、「第1作よりも第2作のほうが傑作が多い」とはよく言われることだ。
例えば『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』、もしくは『ダークナイト』。特にSFやファンタジーを題材にした映画であれば、1作目はどうしても世界観の説明に尺をとられるチュートリアル的な内容になってしまう。その枷から放たれた続編の方が、思いっきりストーリーテリングに集中でき、結果的に2作目の方が面白くなる可能性が高くなるのだ。それは『デューン 砂の惑星』にも言える。
フランク・ハーバートが類稀な想像力によって産みだした一大SF叙事詩を、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が映画化した『デューン 砂の惑星』は、その“チュートリアルっぽさ”からうまく脱却できていた。
ポール・アトレイデス(ティモシー・シャラメ)が学習ホログラムを通じて惑星デューンの生態系を勉強するなど、それらをナレーションや第三者によって説明するのではなく、ストーリーのなかに巧みに織り込んでいく。公爵家だのメランジ(スパイス)だのサンドワームだのフレメンだの、基礎知識を鑑賞者にインストールさせる必要最低限の手続きを、鮮やかな手つきで提示していた。
原作の「デューン/砂の惑星」は、ハヤカワ文庫版で上・中・下の全三冊、合計1200ページを超えるボリューム。主人公のポール・アトレイデスがハルコンネン軍の奇襲から脱出するまでを描いたPART1は、ほんの序章でしかない。我々は惑星デューンに関する予習をPART1で終え、『デューン 砂の惑星 PART2』(2024年)と対峙することで、初めて壮大なオデッセイの全貌を知ることになる。
アクション満載の壮大な戦争映画
正直に告白すると、PART1はアクションとしてのケレン味に欠け、物語としての起伏があまり感じられなかった。ドゥニ・ヴィルヌーヴの鋭敏な感性と構築力によって、堂々たる作品に仕上げられていたものの、あまりにも静謐で端正な佇まいであるがゆえに、個人的には映画的カタルシスを存分に味わうことができなかったのである。
だがPART2は、カタルシスのオンパレード。ドゥニ・ヴィルヌーヴも、
「PART1は瞑想的な映画で、PART2はアクション満載の壮大な戦争映画。より濃密だ」
とコメントしている。具体的には、砂漠の民フレメンに認めてもらうためにポールがひとり巨大なサンドワームに乗る“儀式”、わずかな手勢でハルコンネンの軍隊を襲撃するゲリラ戦、闘技場で繰り広げられるフェイド=ラウサ(オースティン・バトラー)と捕虜たちとの戦いなど、監督の言葉通り、壮大なアクションシーンが盛り沢山だ。
特に、フレメンが何体ものサンドワームに乗って最終決戦に挑むクライマックスは、他を圧倒する映像的強度。思わず、『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』でAT-AT ウォーカーが反乱軍基地を攻撃するシーンや、『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(2003年)で巨獣(ムマキル)に乗った敵が襲いかかるシーンを思い出してしまった。このデカ砂虫祭りを観るためだけでも、IMAXシアターに足を運ぶ価値があると断言しよう。
英雄の影を描くスター・ウォーズとの共鳴
だが筆者が『デューン 砂の惑星 PART2』で感銘を受けたのは、アクション映画としてのダイナミズムではない。むしろ、非アクション的な描写…ポール・アトレイデスの内面に迫っていく心理描写である。
それはまさに、ルーク・スカイウォーカーのダークサイドに肉薄した『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』と同趣のモチーフ。惑星ホスの洞窟で、ルークはダース・ベイダーの幻影と対峙し、そのマスクの下に自分自身の顔を発見する。彼の心の奥底に眠る暗黒面を。
もしくは、優れたジェダイだったアナキン・スカイウォーカーが、パルパティーン皇帝にそそのかされて、ダース・ベイダーへと闇堕ちする『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(2005年)に近い展開とも言えるかもしれない。
ジョージ・ルーカスは、フランク・ハーバートの原作にインスパイアを受けているのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、特に本作は闇堕ちドラマとして『スター・ウォーズ』と相似形を成している。
愛と権力の狭間で揺れるポール・アトレイスの葛藤
宿敵ハルコンネン男爵(ステラン・スカルスガルド)の策略により、アトレイデス家を壊滅させられたポール。母親のジェシカ(レベッカ・ファーガソン)と共に逃げ延びた彼は、砂漠の民フレメンの一員としてムアッディブを名乗り、恋人チャニ(ゼンデイヤ)に対して永遠の愛を誓う。
フレメンたちは、何世紀ものあいだ救世主リサーン・アル=ガイブが現れることを待ち続けてきた。惑星の外からやって来た預言者が、彼らを救済へと導くことを信じているのだ。他のフレメンたちはポールに対して疑いの眼差しを向けるが、部族長のスティルガー(ハビエル・バルデム)だけは、彼が救世主リサーン・アル=ガイブであることを信じて疑わない。
ポールはそれを頑なに否定する。自分が救世主であることを認めてしまったら、もはや一人の男としてチャニと向き合うことができなくなり、彼女を失ってしまうことになるからだ。ここには、自分が救世主であることを受け止めきれない葛藤がある。
やがて彼は、最終的に自分の運命を受け入れる。自らがリサーン・アル=ガイブであることを宣言し、ハルコンネンの軍隊を打ち破り、最高権力者シャッダム4世(クリストファー・ウォーケン)の命と引き換えに、皇女イルーラン(フローレンス・ピュー)を娶ることを約束させるのだ。そしてポールは、全宇宙を統べる者としての地位を確立させる。
新しい皇帝を認めようとしない領家に対し、ポールは躊躇することなく攻撃を命令。聖戦の名の下に、新たな戦争が始まった。彼が権力の座に登っていくにつれ、その暗黒面がむき出しになっていく。そして闇の王と化したポールを横目に、チャニは静かに彼の元を去っていく。
本作は、暗黒面に堕ちたアナキン・スカイウォーカーの如き様相を呈し、その『帝国の逆襲』よりも悲劇的な物語だ。だからこそヴィルヌーブは、ポールではなく、悲壮なチャニの表情をラストカットとして選択したのだろう。
ポールを取り巻く女性たちの政治闘争

DUNE デューン 砂の惑星 ©2020 Legendary and Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved
この映画は、ポールをめぐる女性たちの物語でもある。ジェシカは、フレメンを精神的に導く教母となり、息子を救世主リサーン・アル=ガイブとして覚醒させるために策を弄する。ガイウス・ヘレン・モヒアム(シャーロット・ランプリング)は、遺伝の組み合わせにより、超人類クイサッツ・ハデラックを誕生させようと目論む集団、ベネ・ゲセリットのメンバーで、その可能性を探るためポールに接近していた。皇女イルーランは、政治的判断によって、先のない父シャッダム4世を見限り、ポールの妻になることを承諾する。
ドス黒く渦巻く権謀術数の世界。そこにはもはや、母親や妻の愛情はない。女性たちによる、過激な政治闘争。唯一チャニだけが、ポールをーーー砂漠の民フレメンの一員としてムアッディブをーーー心から愛している。救世主リサーン・アル=ガイブ、もしくは超人類クイサッツ・ハデラックとしての彼は、崇め奉られる信仰の対象でしかない。だからこそチャニはスティルガーに反発し、ジェシカに敵意をむき出しにするのだ。
出世魚のようにポールの名前がどんどん変わるため、観ているこちら側としては混乱が増すばかりだが、通り名がその時点でのポールの立ち位置を指し示し、チャニとの心理的距離を示す記号として機能している。実は物語を掴むための良い羅針盤にもなっているのだ。
謙虚で心優しかった少年は、血と暴力にまみれた皇帝へと変貌を遂げた。砂漠の民によって祭り上げられた救世主は、より孤独と哀しみを深め、女性たちの政治闘争は、より熾烈なものになっていくだろう。
『デューン 砂の惑星 PART2』を推す理由は、血湧き肉躍る英雄譚だからではない。むしろ、悲劇性を帯びた非英雄譚だからだ。ポールを絶対的な救世主として描くのではなく、むしろ女性たちの目を通して相対化させ、危うい存在として描いたことに、大きな意義を感じる。
まだ正式なアナウンスはないが、原作小説の第2作「デューン/砂漠の救世主」を映画化したPART3も予定されている。ヴィルヌーヴによって新しく命を吹き込まれた壮大なSF叙事詩は、おそらく次作によって真価が問われることになるだろう。



