ミュージカルとして蘇った『カラーパープル』 スピルバーグ版からの“進化”を探る


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Text:竹島ルイ
2月9日(金)より、ミュージカル映画『カラーパープル』(2023年)が公開されている。スティーヴン・スピルバーグ監督が1985年に発表した映画のリメイク…というよりも、ブロードウェイでミュージカル化された舞台版を再映画化した、といった方が正しいだろう。2005年と2015年に上演され、第70回トニー賞ではミュージカル・リバイバル作品賞を受賞。
その舞台版で主人公セリーを演じていたファンテイジア・バリーノが今作でも同役を演じ、『リトル・マーメイド』(2023年)のアリエル役が記憶に新しいハリー・ベイリー、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年)で知られるタラジ・P・ヘンソン、トニー賞ノミネート歴のあるコールマン・ドミンゴ、グラミー・ウィナー歌手H.E.R.らが出演。
85年版の監督を務めたスピルバーグ、音楽を担当したクインシー・ジョーンズ、ソフィア役を演じたオプラ・ウィンフリーがプロデュースに回って、装いも新たなミュージカル映画へと生まれ変わった。本稿では旧作との比較を交えながら、『カラーパープル』の魅力について迫ってみたい。
天才スピルバーグの新たな挑戦
『ジョーズ』(1975年)で若き天才監督の名を欲しいままにし、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)から始まる「インディ・ジョーンズ」シリーズで世界中を熱狂させ、『E.T.』(1982年)で当時の世界歴代興行収入1位を記録。
映画史を刷新する作品を次々と世に放ってきたスティーヴン・スピルバーグにとって、監督8作目に選んだ『カラーパープル』は、彼自身にとって大きな転機となった。これまでの娯楽大作から大きく舵を切って、あるひとりの女性の成長を描く物語に焦点を当てたのだから。
スピルバーグに監督の打診をしたのは、音楽も務めたプロデューサーのクインシー・ジョーンズ。原作者のアリス・ウォーカーは、家庭内暴力、児童虐待、貧困、人種差別、性差別という過酷なテーマが内包された小説を、娯楽映画作家である彼に映像化できるかどうか、懐疑的だったという。おそらくスピルバーグ自身も、このオファーには戸惑ったことだろう。だが最終的に彼は、映画作家としての新しい挑戦と受け止め、この申し出を受けることになる。
作品は興行的に大成功をおさめ、アカデミー賞でも作品賞や主演女優賞(ウーピー・ゴールドバーグ )など10部門にノミネート。だが結局、1部門も受賞することは叶わなかった。「若き売れっ子監督に対する、映画芸術科学アカデミーのやっかみなのでは?」とも囁かれたりもした。後年スピルバーグは、「超大作以外の作品も撮れる人間であることを証明したかったのですか?」というインタビュアーの意地悪な質問に対して、こう答えている。
「どの映画を監督するかという決断は、決して知的なキャリア判断に基づいてはいない。私は読んだものに対して反応する。私はこの本を読んで、深く感動した。次の反応は、その本のどこに感動したかを問うことではなかった。なぜなら、私は自分の動機を問うような方法で映画にアプローチしないからだ」
https://ew.com/article/2011/12/02/steven-spielberg-ew-interview/
さらに続けて、彼はこうコメントしている。
「他の批判は、私が本を軟化させたというものだった。それについては、私は常に反論してきた。私はアリス・ウォーカーの小説を元に、作りたかった映画を撮った。アリスはかなりの時間を割いて撮影現場にいてくれたので、“これではディズニー映画っぽくなりすぎる”と助言をくれたよ。撮影中、彼女はとても協力的だったので、私たちは彼女の小説をうまく脚色できていると感じていた」
https://ew.com/article/2011/12/02/steven-spielberg-ew-interview/
原作者アリス・ウォーカーからアドバイスを受けつつ、真摯な態度でスピルバーグは撮影を進めていった。おそらく彼は、1シーン1シーンを手探りしながら設計していったのではないだろうか。
ラッパー監督によるミュージカル演出
小説の映像化というよりも、舞台版を映画として脚色し直した経緯もあるのだろうが、スピルバーグ版と比べて新しい『カラーパープル』は、製作者たちがより自由に、主体性をもって作品にアプローチしている印象を受ける。
まず特筆すべきは、ガーナ出身のラッパー“ブリッツ・ジ・アンバサダー”ことブリッツ・バザウレが監督を務めていること。パブリック・エネミーをきっかけにヒップホップに傾倒し、2009年に『Stereotype』でデビュー。煌びやかなホーンセクションを全面に押し出したファンク色の強いサウンドは、どこかフェラ・クティを彷彿とさせる。直線的なアフロ・ビートがとにかく気持ちいい。
その後もアルバムを断続的に発表し、2018年には『コジョーの埋葬』で映画監督業に進出。アフリカ映画アカデミー賞で9部門にノミネートされ、最優秀初長編監督賞を受賞。続くミュージカル映画『ブラック・イズ・キング』(2020年)でも共同監督を務め(ちなみにこの作品、ビヨンセが共同監督、共同脚本、主演を務めている!)、マルチな才能を見せつけた。その手腕が認められ、今回『カラーパープル』に抜擢されたのである。
映像面だけでなく、音楽面にも監督が深くコミットしていることが、本作の大きな特徴。若い頃のセリーを演じるフィリシア・パール・ムパシ、妹のネティを演じるハリー・ベイリーが歌う「Keep It Movin’」では、ブリッツ・ジ・アンバサダー名義でプロデュースにも関わっている。
今回の映画化にあたって、彼は舞台版から何曲かピックアップしつつ、新しいオリジナルの楽曲も取り入れているが、そのいくつかはブリッツ・バザウレ自身の手によるものなのだ。
「例えばハーポ(コーリー・ホーキンズ)は、シャグ・エイヴリー(タラジ・P・ヘンソン)と家庭を築く決意を固め、さらにミスター(コールマン・ドミンゴ)と対決する時点で、歌が必要だった。ここでは言葉だけでは不十分だったので、コーリーに個人的に歌を書いたんだ。私は彼を外の駐車場に連れて行って、歌を教えた。彼は部屋に戻って曲を披露し、みんなが立ち上がって拍手を送った。そうやって、映画の中で『Workin’ 』という曲が完成したんだ」
https://www.westendbestfriend.co.uk/news/interview-blitz-bazawule-on-directing-new-film-adaptation-of-the-color-purple
セリフだけでは伝えきれない想いを、歌で伝える。感情がピークに達したときに、登場人物が歌い出す。ブリッツ・バザウレはどの場面をミュージカルとして演出すべきか、ふさわしい歌は何なのかをミュージシャンの嗅覚で嗅ぎ分けながら、新たな『カラーパープル』を創り上げたのだ。
“贖罪と赦し”の物語
主人公セリーを演じるのは、ブロードウェイ版でも同役を演じたファンテイジア・バリーノ。人気オーディション番組『アメリカン・アイドル』で、ポーギー&ベスの名曲「サマータイム」を歌って優勝をおさめ、デビュー・シングル「I Believe」がビルボード・ホット100で全米1位に輝くなど、華々しくデビュー。シングル「Bittersweet」では、グラミー賞で最優秀女性R&Bヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞している。だが成功とは裏腹に、彼女の精神面はボロボロだったという。
「私には味方がいなかった。私を信じてくれる人はいたけれどね。(中略)業界の人たちは、“自分たちはいくら稼げるか”ということしか見ていなかった。だから私は一定期間、業界をさまよい歩いたけど、物事は良くならなかったし、関係も良くなかった。そして、ある時点で私は自分が誰なのか分からなくなった」
https://www.indiewire.com/awards/consider-this/fantasia-barrino-the-color-purple-interview-1234943572/
そんな彼女が、セリーを演じるにあたって最も重要視したことは、「彼女は弱い人間ではない」ということだった。
「彼女はうつむいていない。彼女は弱くない。弱い人間だったら、セリーがやってきたこと全てをすることができないはず。彼女はミスターや、彼の連れ子の世話をしました。彼女は料理をし、掃除をし、作物を育てたんです」
https://www.indiewire.com/awards/consider-this/fantasia-barrino-the-color-purple-interview-1234943572/
慎ましさと弱さは別物。だからこそ、彼女のソウルフルな歌唱が一際説得力を持つ。それは、セリーにはポジティヴなパワーが内在していることの証明でもある。ミュージカル映画の効用といえるだろう。
そして筆者がスピルバーグ版と比べて最も感銘を受けたことは、今作が“贖罪と赦し”の物語になっていることだ。父権主義の象徴として登場するミスターは、セリーに「私への仕打ちは自分にはね返るわ」という“呪い”をかけられ、瞬く間に没落していく。
85年度版では、セリーが家族に再会する感動的な場面を、遠くから眺めている存在に過ぎなかった。彼はセリーに対して贖罪することも、赦しを許しを乞うこともできなかった。彼は孤独な老人として、寂しく物語から退場していく。
だが今作では、ミスターは自らの意思でセリーの店に足を運び、アフリカから彼女の家族を呼び戻す場面がしっかりと刻まれている。彼はもはや疎外された人間ではない。父権主義から解き放たれ、セリーと和解を果たした人間として再生する。人は誰だって学べるし、変わることができる。筆者はそこに、85年度版にはなかった眼差しを感じてしまう。
ミュージカル版として生まれ変わった『カラーパープル』は、“贖罪と赦し”の物語としても生まれ変わったのだ。

