『ストップ・メイキング・センス』はなぜ伝説のライヴ映画と称されるのか?

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Text:竹島ルイ
1983年12月、ハリウッド・パンテージ・シアター。ステージに向かって歩みを進めるひとりの男の足元を、カメラが捉え続ける。やがて「やあ、テープを持ってきた」という簡単な挨拶を済ませると、ラジカセのスイッチを入れ、足でリズムを取り始める。
ゆっくりカメラがティルトアップすると、そこに現れるのはトーキング・ヘッズのフロントマン、デイヴィッド・バーンの姿。首をひょこひょこと前に動かしながら、ギター一本で「Psycho Killer」を歌う。伝説のライヴ映画、『ストップ・メイキング・センス』(1984年)の幕開けだ。
映画の歴史において、音楽ライヴを記録した傑作は数多い。『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970年)、『エルヴィス・オン・ツアー』(1972年)、『ラスト・ワルツ』(1978年)…。ここ十数年でも、『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009年)、『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』(2021年)、『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』(2022年)といった作品が公開されている。
だがその中でも、『ストップ・メイキング・センス』は頭ひとつ抜けた存在だ。著名な映画評論家ポーリン・ケール、音楽評論家のロバート・クリストガウも、“史上最高のコンサート映画”と賞賛を惜しまない。2021年には文化的、歴史的、美学的に重要な作品として、アメリカ国立フィルム登録簿に選定されている。
2024年は映画公開から40周年、バンド結成から50周年という節目の年。2月2日(金)からは、A24配給で『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』が公開されている。
30年間眠り続けていたオリジナル・ネガフィルムを元にして蘇った、完全リマスター版だ。なぜ本作は、いまだに我々の心を震わせて、伝説のライヴ映画と称されているのだろうか?その理由について考察していこう。
「意味付けなんてやめちまえ!」肉体性を重視したステージング
トーキング・ヘッズのライヴを映画化しようと思いついたのは、監督を務めたジョナサン・デミ。後に『羊たちの沈黙』(1991年)でアカデミー監督賞に輝く名匠だが、当時は低予算のインディペンデント系フィルムメーカー。『メルビンとハワード』(1980年)で注目を浴びたばかりで、まだ無名に近い存在だった。
「1983年の初め、ゲイリー・ゲッツマン(筆者注:本作のプロデューサー)と私は、大好きなバンドのトーキング・ヘッズを観るため、ロサンゼルスのハリウッド・ボウルに行ったんだ。そのショーはまるで、撮影されるのを待っている映画のようだったよ。そして私たちは、デヴィッド・バーンに一緒に映画を撮ることを提案したんだ」
https://time.com/2980989/stop-making-sense-anniversary-david-byrne-jonathan-demme/
もともとトーキング・ヘッズのメンバーは名門美術大学出身で、デヴィッド・バーンも自分たちのライヴが“映画的”であることを自覚していた。彼らはジョナサン・デミの提案を受け入れ、制作費用も自前で調達し、ライヴ映画の準備に取り掛かる。
撮影は1983年12月13日から16日の4日間にわたって行われた。カメラは全部で6台、音声はデジタル録音。1曲ごとにミュージシャンの数が増えていき、サウンドがどんどんふくよかになっていく構成も破格だった。
メンバーが全員出揃って演奏される大ヒット・ナンバー「Burning Down the House」の高揚感は、何度観ても素晴らしい。ティナ・ウェイマス(ベース)とクリス・フランツ(ドラム)によるアナザー・プロジェクト、トム・トム・クラブの「Genius of Love」のノリノリ演奏も最高だ(ティナが大股を開いて飛び跳ねる謎の動きも可愛らしい!)。
とはいえこのライヴの真骨頂は、やはりオープニング・ナンバーの「Psycho Killer」に込められているのではないか。デビュー・アルバム『Talking Heads: 77』に収録されているこのナンバーは、タイトル通り猟奇殺人犯を歌った不穏すぎるナンバー。
ループ・テープから流れる破裂音が鳴り響くたび、彼がよろめくようなパフォーマンスをするのは、ミュージカル映画『恋愛準決勝戦』(1951年)のフレッド・アステアにインスパイアを受けたものなのだという。
映画評論家のステファニー・ザカレックは、この動きをジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』(1960年)に例え、「まるで最後の数分間のジャン=ポール・ベルモンドのようだ」と評した。死に向かって疾走し、「最低だ」の一言を残してこの世を去るチンピラの姿を、デヴィッド・バーンに重ねたのだ。だが筆者の眼には、英語とフランス語を交えたこのインテリジェントなナンバーを、よろめくというパフォーマンスでその知的遊戯性を自ら否定し、葬り去る作業のように思えてしまう。
神経質なポスト・モダニズム。モダンでアートスクール的。ニューヨーク・パンクという文脈で語られることの多いトーキング・ヘッズは(このジャンルもサウンド的な共通点はあまりないのだが)、デビュー当時はニュー・ウェイヴな音を鳴らしていた。やがてブライアン・イーノをプロデューサーに迎えた2ndアルバム『More Songs About Building And Food』(1978年)からアフロビートに接近し、よりアフリカンでフィジカルなリズムへと変質していく。
それは、知性から肉体性への転換だった。そんなトーキング・ヘッズの音楽的変遷を、デヴィッド・バーンは身をもって提示してみせたのではないか。ストップ・メイキング・センスとは、まさしく「意味付けなんてやめちまえ!」という意味なのだから。
“演劇的なアンサンブル”としてのジョナサン・デミの眼差し
それはさすがに筆者の妄想だとしても、『ストップ・メイキング・センス』のステージが極めて肉体的=演劇的であることは間違いない。ジョナサン・デミはこの作品で、音楽ライヴ映画のお約束的手法をことごとく破っている。
第一に、ステージに熱狂する観客を映さない。スペクタクルな熱狂よりも、ステージ上のミュージシャンたちを徹底観察することに集中している(実際には観客を映す案も検討されたのだが、より多く照明を焚く必要があったため見送られた)。
一つひとつのシーンの尺が長いエディット感覚も特徴的。カットを割ることで映像的なダイナミズムは生成されるが、ジョナサン・デミはむしろじっくりと被写体を捉えることが重要だと考えた。ステージ全体を俯瞰するようなロング・ショットが多用されているのも、演劇的なアプローチといえる。
そして、コンサートとしては異例なほど薄暗い照明。「This Must Be the Place (Naive Melody)」を演奏するとき、フロアランプの灯りで、漆黒の闇にメンバーたちの姿が浮かび上がるライティングは、ため息が出るほど美しい。ちなみに筆者はことあるごとに、この演奏だけを繰り返し観てしまう病気に罹っている。
本作の撮影を務めているのはコンサート・カメラマンではなく、『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』(1980年)や『ブレードランナー』(1982年)などの仕事で知られる、ジョーダン・クローネンウェス。光と闇のコントラストの美しさも、この作品の魅力となっている( 4Kレストア版のみどころのひとつと言えるだろう)。
2017年4月26日、ジョナサン・デミが73歳でこの世を去ったとき、デヴィッド・バーンはこんなコメントを残している。
「ジョナサンの手腕は、ショーをほとんど演劇的なアンサンブルとして捉えたことにある」
https://www.indiewire.com/features/interviews/stop-making-sense-gary-goetzman-movie-re-release-1234897379/
退廃的なインテリ男性が、奇妙な動きをし続けるデヴィッド・バーンの肉体性。ライヴというよりは、演劇に近いアプローチの撮影。それゆえに、『ストップ・メイキング・センス』は凡百のライヴ映画とは一線を画す独自性を勝ち得ているのだ。
そしてこのスタイルは、デヴィッド・バーンのブロードウェイ公演をスパイク・リーが監督した『アメリカン・ユートピア』(2020年)に引き継がれることになる。