『千年女優』今敏が描く“虚構と現実のあわい”に潜む、現代的なテーマとは


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Text:竹島ルイ
今敏が2010年8月24日に46歳という若さでこの世を去ってから、10数年という年月が経った。
彼が監督したアニメーション作品は、『PERFECT BLUE』(1997年)、『千年女優』(2002年)、『東京ゴッドファーザーズ』(2003年)、『パプリカ』(2006年)の4本のみ。あとは、TVシリーズ『妄想代理人』(2004年)全13話の総監督を務めただけで、手がけた本数は非常に少ない(もともと漫画家としてデビューした経緯もあり、何作か漫画作品を発表しているのと、『老人Z』(1991年)や『MEMORIES』(1995年)といった作品では、レイアウトや美術設定などを担当している)。
だが今なお彼の存在は、世界に影響を与え続けている。カナダ・モントリオールで開催されているファンタジア国際映画祭は、彼に敬意を表してグランプリを「今敏賞」に改称。イギリスの映画雑誌Total Filmが選出した「歴代アニメーション映画ベスト75」には、『PERFECT BLUE』(1997年)、『千年女優』(2002年)、『パプリカ』(2006年)の3本がランクイン。
ダーレン・アロノフスキー監督の『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000年)には『PERFECT BLUE』、クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』(2010年)や、ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート監督の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022年)には『パプリカ』の影響がみてとれる。僕らにはまだまだ、今敏が必要だ。
2023年9月には『PERFECT BLUE』がリバイバル公開され、伝説のアニメーション監督作品が劇場で鑑賞できる機会に恵まれた。そして今年の1月19日からは、『千年女優』が全国109館で2週間限定公開される。
30年前に銀幕から忽然と姿を消した伝説の大女優・藤原千代子の、人生と映画の記憶が混じり合っていく摩訶不思議な物語。第5回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞し、レビューサイトRotten Tomatoesのアニメーション映画ベスト60に選出されるなど、高い評価を受けている作品である。
現実と虚構のあわいを描く
本作は、「騙し絵みたいな映画を作ろう」というコンセプトから生まれた。確かに観ているあいだ、我々は現実と虚構がないまぜになったような、不思議な感覚に襲われる。
藤原千代子の女優人生をインタビューする話だったはずなのに、いつのまにか彼女の人生が映画のシーンに置き換えられていて、戦国時代、幕末、大正時代、太平洋戦争末期、挙げ句の果てには宇宙飛行士としてロケットに乗り込むまで、次々と時制が切り替わる。おまけに、インタビューしている映像会社社長とカメラマンも映画の世界に入り込んで、その状況をツッコむという高度にメタな構造になっているのだ。こちとら、ずーーーっと混乱しっぱなし!
この独特すぎる話法に、今敏自身は自信を抱いていた。
インタビューアーも彼女の昔語りに参加して行く、という話のスタイルを思いついたことで、この企画に確信を深めました。私自身のイメージの力が強いのかどうか、自分ではよく分かりませんが、普段言葉を話すときも絵を描くときにでも、「臨場感」というものを非常に大切にしています。「まるでそこにあるような」出来事や人や物、そんなふうに描きたいと思っています
(https://konstone.s-kon.net/modules/interview/index.php?content_id=4)
今敏自身は、『千年女優』のインスピレーション元が星野之宣の短編漫画『月夢』であることを明かしている(参照:「ユリイカ2020年8月号 特集=今敏の世界」)。おそらく、宇宙船が月面に降り立つファースト・シーンから創作のヒントが生まれたのだろう。だとしても、ここまで時間と空間を飛び越えたトンデモSFラブストーリーを紡ぎあげてしまう、語り手としての巨大な才能には、畏敬の念を感じざるを得ない。
彼は、常に現実と虚構のあわいを描いてきた作家といえる。『PERFECT BLUE』は、夢とリアルが交差していくなかでアイデンティティが崩壊していく、悪夢的ストーリー。『パプリカ』(2006年)は、共有された“夢”が現実へと侵食するパラノイアチックな作品。『妄想代理人』(2004年)にも、現実と虚構が混濁するモチーフが描かれていた。
彼の作品に現出するのは、『マトリックス』(1999年)のように、もしくは『レディ・プレイヤー1』(2018年)のように、現実と虚構がはっきりと二分された世界ではない。2つの境界線は非常に曖昧で、もはや何が現実で何が虚構なのか、それすらもあやふやな世界だ。
筆者が今敏作品を観ていて脳裏をよぎるのは、“環世界”というワードだ。これは、ドイツの生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した概念。曰く、「すべての生物は自身の器官を通して世界を理解している。よって世界とは客観的なものではなく、生物それぞれが主体的に構築した固有のものである」。絶対的な現実がこの世にあるのではなく、自分が感知できるもの、そうであってほしいと願う世界のみが、目の前に広がっているのだ。
ポスト・トゥルースの時代と呼ばれ、科学の否定や認識の歪みが指摘される昨今だが、たぶん我々人類ははるか太古の時代から、自分が信ずる事実を追いかけて生を全うしてきたのだろう。Truthという曖昧模糊としたものが、より抽象性を増していく現代にあって、そんな普遍的なテーマはよりヴィヴィッドに響く。だからこそ、今敏の映画は現在でも十分に有効だし、おそらく千年後でも有効なのである。
激しくエモーショナルで、高度にコンセプチュアル
事実というものは存在しない、存在するのは解釈だけである
そう語ったのは、ドイツの哲学者ニーチェだ。この世界に、客観的なファクトは存在しない。あるのは、個人各々による主観的な解釈だけ。言い方を変えれば、その解釈によっていくらでも世界は変容する。
今からおよそ2000年前、第16代ローマ皇帝のマルクス・アウレリウス・アントニヌスも「耳に入ってくるものは、すべて意見であって事実ではない。目にするものはすべてあるひとつの視点であって、唯一の真実ではない」という名言を仰っている。SNSによって個人の主義主張が可視化され、ひとつの事象に対して意見が真っ二つに分かれるネット空間を眺めるたびに、ニーチェやアントニヌスの言葉が筆者の胸中に去来する。やっぱ歴史上の偉人は言うことが一味違う!
『千年女優』で主人公の千代子は、名前も分からない、顔も覚えていない男性をいつまでも追い続ける。もはや彼が実在の人物なのか、虚構の存在なのかも分からない。だからこそ、彼女が最後につぶやくこのセリフが非常に大きな意味を持つ。
どっちでもいいのかもしれない。だってあたし、あの人を追いかけてるあたしが好きなんだもの
それは、自分が佇んでいるこの世界は、自分がそうであって欲しいと願っている“環世界”であることを、誰よりも理解していたことの証明だろう。彼女は映画女優という虚構の世界で生き、我々はその物語をアニメーションという虚構の世界として目撃する。二重に張り巡らされた、今敏による巧みな手つき。『千年女優』は、激しくエモーショナルでありながら、高度にコンセプチュアルな傑作である。
筆者はときどき夢想する。もし今敏がまだ存命だったら、どんなフィルモグラフィーを築いていただろうか。映画の歴史はどのように変わっただろうか。この天才アニメーション監督は、それだけのディープ・インパクトをきっと与えたはずだ。
その死から10数年経った今でもーーーいや、今だからこそーーー彼の作品は我々のハートに訴えかけてくる。
公開情報

©2001 千年女優製作委員会
千年女優
公開日:2024年1月19日(金)より期間限定上映
公開劇場:全国109館
料金:1,600円均一(各種サービスデーや他の割引サービスはご利用いただけません)
※各劇場サイトにて順次チケット販売
※上映日や上映時間は各劇場にご確認ください
提供:クロックワークス、ジェンコ
配給:Filmarks
https://filmarks.com/movies/3904

