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『ポトフ 美食家と料理人』“触覚”を刺激する、美味礼讃・人生礼賛ムービー

2023/12/16 19:00
Takeshima Rui
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PHOTO: ©Carole-Bethuel ©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA
トラン・アン・ユン監督、7年ぶりの新作となる映画『ポトフ 美食家と料理人』のレビュー。

“触覚”の映画。トラン・アン・ユンの長編映画デビュー作『青いパパイヤの香り』(1993年)を観た時、筆者はそんな感想を抱いた。10歳の少女ムイが、包丁でパパイヤを削いだり、その種を指でつまんだりする、瑞々しい手触り。画面から放たれる色や、光や、音。まるでサイレント映画のように極端にセリフの少ない作品でありながら、ワンカット、ワンカットが五感に訴えかけてくる。

“映像詩人”と呼ばれるフィルムメーカーは数多くいるが、トラン・アン・ユンはその中でも頭ひとつ抜けた才能だろう。ベトナムに生まれ、パリで育った彼の鋭敏な感性は、他の追随を許さない。前作『エタニティ 永遠の花たちへ』(2016年)から7年、待望の新作となる『ポトフ 美食家と料理人』(2023年)もまた、彼のインターナショナルな映像感覚が十二分に発揮された傑作。世界中から高い評価を受け、第76回カンヌ国際映画祭では最優秀監督賞に輝いた。

©Carole-Bethuel ©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

この映画は、オープニングから観る者を圧倒する。舞台は、19世紀末フランス。美食家として知られるドダン(ブノワ・マジメル)は、天才料理人のウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)と共に、調理場で午餐会の準備をしている。お湯が沸き立つ音、フライパンで火にかける音、井戸から水を汲み上げる音。窓から優しいオレンジ色の光が差し込み、扉の向こうからは、うっすらと鳥の囀り声や猫の鳴き声が聞こえてくる。室内を満たすのは自然音のみで、劇伴はいっさい流されない。

新鮮な肉や野菜が湯通しされ、焼かれ、煮込まれ、ソテーされる。厨房でせわしくなく動き続ける彼女たちの動線は、とてつもなく複雑だ。トラン・アン・ユンはまるでバレエを振り付けるかのように、流麗なカメラワークでその一挙手一投足をフィルムに焼き付けていく。できるだけカットを割らず、長回しで撮影するスタイルは、リスペクトを表明している溝口健二監督から影響を受けたものだろう。

そして常に構図の中心となるのは、優美なその“手”。ウージェニーはひとつひとつの食材を吟味するように、美しい指で感触を確かめていく。かつて『青いパパイヤの香り』がそうであったように、トラン・アン・ユンは本作でも鑑賞者の“触覚”を刺激する。

言語の壁を超越して、国を超越する

この映画の企画は、「ガストロノミーに関する映画を作りたい」というトラン・アン・ユンの強い願いからスタートした。ガストロノミーとは、皿の上に盛られた食材に想いを馳せ、その背景について考察するような、食事全般を文化レベルで考える美食学のこと。彼は製作にあたって、マルセル・ルーフが1920年に出版した小説「La vie et la passion de Dodin Bouffant gourmet(美食家ドダン・ブーファンの生涯と情熱)」を参考にしている。映画はこの小説に着想を得たオリジナル・ストーリーだ。

ドダンは架空のキャラクターだが、モデルとなった実在の人物がいる。法律家であり、政治家であり、そして稀代の美食家だったジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン。美食に関する名著『美味礼讃』の著者としても知られている。もう、ほとんど『美味しんぼ』の海原雄山。そんな人物をモデルにしたドダンが調理するシーンとなれば、“絵”として説得力のある料理を並べる必要がある。そこで料理監修として招聘されたのが、ミシュラン3つ星シェフのピエール・ガニェール。“厨房のピカソ”とも称される、現代最高の料理人のひとりだ。100年前の伝統的調理法で作られた極上メニューの数々に、美食家ならずとも目が釘付けになることは必至。料理は全て本物で、スタッフ・キャストが責任を持ってすべて美味しく召し上がったそうな。

だが筆者が思うに、『ポトフ 美食家と料理人』は出てくる料理に思わず舌鼓を打つだけのグルメ・ムービーではない(もちろん、そのような側面もあるだろうけど)。『青いパパイヤの香り』で描かれる日々の営みが、サイレント映画のような豊穣さに満ちていたように、調理のプロセスもまた極めて映画的な愉悦に満ちている。

「私にとって映画とは言語だ。フランス語でも、アメリカ語でも、日本語でもない。映画を作るなら、映画という言語を洗練された方法で話さなければならない。そして、映画という言語を正しく話せば、あなたの映画はフランス風にもアメリカ風にも日本風にもなるのだ」(*1)

と、トラン・アン・ユンは語る。『青いパパイヤの香り』や『シクロ』(1995年)、『夏至』(2000年)の舞台はベトナムだったが、『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』(2009年)は香港、『ノルウェイの森』(2010年)は日本、そしてこの『ポトフ 美食家と料理人』はフランス。純粋な映像作家であるがゆえに彼は言語の壁を超越し、国を超越するのだ。

愛の交歓としての料理

トラン・アン・ユン自身が語っている通り、この映画はガストロノミーをモチーフにした映画であると同時に、美しいラブストーリーでもある。ドダンとウージェニーはお互いに食を追求する同志であり、パートナーであり、恋人だ。

「私にとって重要だったのは、美食についての映画を作ることではなかった。それよりも、ガストロノミーがもたらす映画製作への挑戦だった。私の最初の挑戦は、他のどの映画とも似ていない映画を作ること。ガストロノミーをラブストーリーに織り込み、料理という芸術に同じような情熱を共有して、25年以上も一緒に暮らしてきた男女が、どのようにして精神的な絆を結ぶかを観察することだったんだ」(*2)

ジュリエット・ビノシュは、トラン・アン・ユンにとってウージェニー役のファースト・チョイスだった。『トリコロール/青の愛』(1993年)でヴェネツィア国際映画祭女優賞、『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年)でベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)、『トスカーナの贋作』(2010年)でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞し、世界三大映画祭を制覇した名優中の名優(『イングリッシュ・ペイシェント』では、アカデミー賞助演女優賞にも輝いている)。レオス・カラックス、ルイ・マル、侯孝賢、アッバス・キアロスタミ、デヴィッド・クローネンバーグといった国内外の映画監督と仕事をしてきた彼女にとっても、トラン・アン・ユンの映画に出演することは悲願だった。

非常に興味深いのは、ドダンを演じるブノワ・マジメルは彼女の元パートナーで、二人の間には子供もいること。ジュリエット・ビノシュ自身、「彼とはあまり会っていなかったし、それ以来も会話もなかったから、また一緒に仕事をするのは少し不安だった」(*3)と正直すぎるコメントも残している。だがその実生活における関係性が、何度ドダンが求婚してもなかなか承諾してくれないという、ウージェニーとの不思議なパートナーシップに滲み出ている。おそらく、調理場で二人が料理に没頭すること自体が、愛の交歓なのだろう。料理とは愛の表現であり、エロスの発露でもあるのだ。

この映画は最後に、「イェン・ケーに捧ぐ」という謝辞で締めくくられる。彼女は『青いパパイヤの香り』の主人公ムイを演じた俳優であり、その後も『シクロ』、『夏至』、『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』に出演したトラン・アン・ユン映画の常連であり、彼の妻でもある。25年以上にも及ぶドダンとウージェニーとの日々を、自分と妻との日々に重ねたのだろう。美しいラブストーリーの記憶に、そっと紐づけたのだろう。

観客の“触覚”を刺激する、美味礼讃・人生礼賛ムービー。『ポトフ 美食家と料理人』には、非言語的な映像体験がある。
©2023 CURIOSA FILMS – GAUMONT – FRANCE 2 CINÉMA

(*1)filmint

(*2)Variety

(*3)Deadline

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