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ビル・エヴァンスと正対することで生まれた、至高のアンビエント・スケープ 細野晴臣『Undercurrent』

2023/10/18 19:00
Takeshima Rui
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細野晴臣が今泉力哉監督の映画『アンダーカレント』に提供した音の世界を再構築したEP『Undercurrent』のレビュー。

はっぴいえんどで日本語の礎を築き、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)で世界的成功を収め、その後もテクノからカントリー・ミュージックまで幅広い作品を発表してきた細野晴臣は、言わずと知れた音楽界の巨人。そして彼はまた、『銀河鉄道の夜』(1985年)、『紫式部 源氏物語』(1987年)、『メゾン・ド・ヒミコ』(2005年)、『万引き家族』(2018年)など、決して数は多くないものの、印象的な映画音楽を手がけてきたサウンドトラック職人でもある。

そんな彼が、今泉力哉監督の最新作『アンダーカレント』の映画音楽を手がけることになった。筆者のように長年細野晴臣を追いかけてきたファンにとって、これはもはや音楽的事件。なぜなら、本作の劇伴を手がけるということは、確実にあるジャズの名盤を意識せざるを得ないからだ。

『アンダーカレント』の原作は、豊田徹也が2004年に月刊アフタヌーンに発表した同名漫画。家業を引き継いだ関口かなえは、夫の悟と一緒に銭湯を切り盛りしていた。ところがある日突然、夫が行方をくらましてしまう。事態を受け止めきれず、それでも必死に営業を続けるかなえ。そんな彼女のもとに、住み込みで働きたいという男が現れる。やがて奇妙な共同生活が始まり、不思議な連帯感が芽生えていく…。

アンダーカレントとは、<底流>という意味。まさにこの作品は、2人が心の底に沈めていた想いが交錯するまでを、独特の筆致で描いている。発表されたのはおよそ20年前だが、いまだにそのカルト的人気が衰えることはなく、特にヨーロッパでは評価が高い。2020年にフランスの放送局が発表した「2000年以降の絶対に読むべき漫画100選」では、堂々の3位にランクインしているほどだ。

この漫画には明白な参照元がある。単行本の表紙には、主人公のかなえが湖底へと沈んでいく幻想的なカットが描かれているのだが、これがビル・エヴァンス&ジム・ホールの共作アルバム『Undercurrent』に使用されている、ジャケット・デザインからの引用。これは1907年生まれの女流アメリカ人カメラマン、トニー・フリーゼルが1947年に撮影した「Weeki Wachee spring, Florida」という作品だ。湖底に一人の女性が漂う、鮮烈なモノクロ写真。漫画『アンダーカレント』は、1962年に発売されたジャズの名盤から大きなインスパイアを受けている。

その漫画を実写化するとなれば、音楽制作にはどうしたってビル・エヴァンスの呪縛を受けざるを得ない。果たして、どのようなアプローチで細野晴臣はこの作品に対峙するのか。筆者の関心はその一点にあった。

■アンダーカレント→Undercurrent

細野晴臣は、『アンダーカレント』のイメージを再構築した音源作品『Undercurrent』を10月4日にリリース。原作・映画で使われているカタカナ表記ではなく、あえてジャズの名盤と同じ英語表記にしている。ビル・エヴァンスと正対することで、むしろ自分のオリジンに立ち返ったような姿勢が生まれたのだろう。ビル・エヴァンスとジム・ホールによる深淵なインタープレイを意識しすぎることなく、映画を自分に招き寄せることによって、新しい景色を作り出している。

確かに完成した映画を鑑賞してみると、そこに流れているのは紛うことなき細野サウンドだ。メロディーが物語を形作るのではなく、アブストラクトな音の配列が丁寧に研磨されたかのような、エーテルに満ちた空間。空気を伝ってリスナーの耳にそっと入り込んでいく、“音”そのもののふくよかさ、柔らかさ。この快感は、細野ワークスでしか味わえない。このEPはサウンドトラックではなく、あくまで音の断片を再構築したカタログ集であることも、その印象を強めている。

では、実際にアルバムに耳をそばだててみよう。M-1「Bath&Frog(風呂と蛙)」は、不吉な影を帯びたダーク・アンビエント。後半にインサートされる不規則で強い打楽器のアタック音に、思わずドキリとしてしまう。M-2「Underwater(水中)」は、湖底から聞こえてくるかのように静謐な鍵盤の音が、やがて電子音のざわめきにかき消され、また波のように戻っていく美しいトラック。

M-3「Memory(記憶)」は、カリカリというグリッチ・ノイズが心地よいミニマル・テクノ。液体を一気に気体へと変えるスチームのような音が、強烈に脳裏に焼きつく。M-4「Lake(湖沼)」は、鈴の音が印象的に使われているディープ・アンビエントな一曲。映画でも、鈴はかなえの記憶を呼び起こす重要なアイテムとなっている。

M-5「Undercurrent(底流)」は、このアルバムのハイライトと言っていいだろう。タイトルは底流だが、そこには暖かで優しい一筋の光が注ぎ込んでいる。メロディーレスなトラックが収められた本作の中では、最もメロディーの美しさが際立っている作品。一転してM-6「Reverberation(余韻)」は、緻密に配置されたSEが聴覚を挑発するエレクトロニカ。タイトル通りほのかな余韻を残して、全6曲・17分のEPは終幕を迎える。

全体を通して聴いてみると、どこか不穏で不吉な影を匂わせつつ、音の一粒一粒は滑らかで優しい。90年代に細野晴臣が接近したアンビエント作品…『MEDICINE COMPILATION』(1993年)や『NAGA』(1995年)に近いニュアンスを感じる。まるで湖底の奥底に沈められたかのように、モノクロームの世界に身を浸しているにも関わらず、その奥底には暖色系の光がゆらゆらと輝いているのだ。きっとそこにあるのは、メランコリックなではなく、力強く躍動するなのだろう。


■ただそっと寄り添う、素っぴんの音

アルバムのリリースにあたって、細野晴臣はこんなコメントを発表している。

映画「アンダーカレント」に添えたイメージの数々を再構築しました。映画用には音の断片を極力シンプルに、素っぴんに近い形で作りました。音の世界を完成形にすれば、映画に溶け込む隙がなくなると思ったのです。ですから今回アルバムとしてまとめる際は、音楽の世界を再構築することが必要でした。とはいえ映画のために作った素材以外は使用していません。そして静けさと激しさが同居した映画、「アンダーカレント」のイメージがこの様になりました。
https://kakubarhythm.com/news/post/11568

“音の世界を完成形にすれば、映画に溶け込む隙がなくなる”というのは、非常に興味深い。それは、この映画がそれだけ音楽的ということではないか。今泉力哉監督は、場面の切り替わりを黒味で繋ぐという編集を施している。その呼吸そのものが、すでに音楽的。であるならば、劇伴は物語を牽引するのではなく、ただそっと寄り添うだけでいい。

メロディーは時として、物語に対して過剰なまでに意味を付与してしまう。“音の断片を極力シンプルに、素っぴんに近い形”というのは、サウンドをシネマティックにさせすぎないための判断なのだろう。細野晴臣が目指したのは、無形の流動体。まさしくアンダーカレント=底流のように、あらゆる解釈を許容する音の塊。細野晴臣はメロディメイカーとしてではなく、映画に漂う大気を送り込む役割を担っているのだ。そんな芸当、天下の細野さんにしかできません。

余談だが、この作品には菅野よう子という名前の人物が登場する(江口のりこが演じていた、主人公・かなえの親友役)、おそらくこの名前は、数々のアニメーションや映画・ドラマの作曲を手がけている、あの菅野よう子を意識しているのだろう。『アンダーカレント』は、どこまでも音楽的な作品なのである。

ビル・エヴァンスと正対することで生まれた、至高のアンビエント・スケープ。ただそっと寄り添う、素っぴんの音が『Undercurrent』には宿っている。

【リリース情報】


Haruomi Hosono 細野晴臣
Undercurrent アンダーカレント

KAKU-183
2023.10.4 Release
Label: KAKUBARHYTHM / medium
Link: https://kakubarhythm.lnk.to/hosonoharuomi_Undercurrent

Editorial remixed version
Music and mixed by Haruomi Hosono

Artwork: Kei Sakawaki

Tracklist

01 Bath&Frog (風呂と蛙)
02 Underwater (水中)
03 Memory (記憶)
04 Lake (湖沼)
05 Undercurrent (底流)
06 Reverberation (余韻)

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