野宮真貴が語る「世界で愛された渋谷系」。カワムラユキ、☆Takuと共に平成の音楽を振り返る

日本だけでなく世界中で流行した音楽「渋谷系」。渋谷系の代名詞でもある野宮真貴が当時のエピソードをトーク。
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2019.04.30 09:00

毎週金曜に放送されている「shibuya OIRAN warm up Radio」。4月26日はMASSIVE WEEKのスペシャルゲスト、野宮真貴と☆Taku Takahashiを迎えて「渋谷系」をテーマにトーク。


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カワムラユキ(以下、K):今日は渋谷系の女王、野宮真貴さんに来ていただきました。ありがとうございます。


野宮真貴(以下、N):よろしくお願いします。


K:block.fm初登場ということで、ありがとうございます。☆Takuさんも、真貴さんが大好きですもんね。


☆Taku Takahashi(以下、T):そもそも日本の音楽が素敵でお洒落でかっこいいと思ったきっかけが、ピチカート・ファイヴなんです。渋谷系っていう言葉ができた当時、僕はアメリカに住んでたんですよね。だから、渋谷があこがれの場所だったんです。


N:なるほど。90年代ですね。


K:ロスですか?それこそピチカート・ファイヴは日本だけでなく海外でも活躍されていましたよね。


T:そう。USツアーが始まる頃ですね、僕がいたのは。


N:アメリカのマタドールレコードっていうレーベルからリリースして、アメリカ14都市を回ったんですけど、LAも行きましたよ。


T:僕はその時ライブには行けなかったんですよね〜。ちょうど夏休みで日本に帰ってきてる時に、夕方にTVKで「東京は夜の七時」のMVが流れてて、「こんなハウスの音楽作る日本のアーティストがいるんだ」って知って。それでアルバムを全部集めて、自分でピチカート・ファイヴのBEST版作ったりとかしてましたね。


K:私がピチカート・ファイヴに出会ったのは中学生の時だったんですけど、コンプレックスを抱えた中学生で、今に繋がるような自分を描けない状態だったんですよね。それで現実逃避するように音楽を聴いていて、真貴さんの曲を聴いてる間は歌の中の特別な女の子になれる気がしてたんです。今ヒットしているアーティストのみなさんはリアルとか等身大を表現されることが多いんですけど、その当時は、夢や愛や恋や情緒、そういったものがエンターテイメントにあるっていう時代でした。綺麗にお化粧してお洒落してっていう夢の世界が、渋谷系そして真貴さんの音楽にあるなって思ってて。


N:そうね、渋谷系の音楽って割とラブソングも多かったし、キラキラしてましたよね。


K:東京タワーの見えるマンションに住んでるとか。


N:小西(康陽)さんの歌詞がまたいいですよね。


K:ほんとに夢いっぱいで。ウィッグを被ったりとか綺麗なドレスを着たりとかってなかなかできないじゃないですか、普通は。でも真貴さんは色んな衣装を着こなして。


N:歌とビジュアル担当でしたので、色んな衣装を着ましたよね。色んな女性になったし。歌の世界でもね。


K:真貴さんを通じてファッションの勉強もできたんですよ。例えばTwiggyっていう女性。真貴さんも(Twiggyのように)すごく細くて、どうやったらこんな体型になれるんだろうって。


N:「Twiggy Twiggy」っていう曲もありましたね。それは私のデビューアルバムに入っていたのをピチカートがカバーした曲なんですけれども。


K:今日はその「Twiggy Twiggy」も聴いていただこうと思ってるんですけど、渋谷系は世界的に色んなアーティストにリスペクトされています。これはRichard Cameron(リチャード・キャメロン)。


N:Richard CameronはオランダのEasy Tuneっていうユニットの方。2008年、私の第一回目のリサイタルで音楽監督をしてもらって、舞台で歌う曲を全部アレンジしてもらった時に、この曲もアレンジしてもらいました。




K:渋谷系、野宮真貴さんに対する世界からのアンサーやラブレターっていう感じですね。このバージョン。


N:そうですね。90年代、渋谷系のようなアーティストって世界にも同時多発的にたくさんいて。Richard Cameronもその一人なんですけど、すごく面白い時代でしたね。


K:2003年にメキシコに行った時にクラブでお洒落したゲイの男の子と喋ったんですけど、ピチカート・ファイヴが大好きって言ってました。海外でもすごく、音楽マニアの方とゲイの方に人気があって。


N:あとはお洒落が好きな女の子たち。大体ファンはその3パターンに分かれますね。


K:NYではPatricia Field(パトリシア・フィールド)とも交流があったりとか。そんな渋谷系ですが、☆Takuさんはどういった影響を受けましたか?


T:ピチカート・ファイヴを知って、その後コーネリアスとか、渋谷系じゃないかもしれないけどMONDO GROSSO(モンド・グロッソ)とかKyoto Jazz Massive(キョウト・ジャズ・マッシブ)とか、日本の音楽を知っていって。ただ実は僕、渋谷系が好きだったわけじゃなくて、ピチカート・ファイヴを通じてその周りのアーティスト、渋谷で活動しているアーティストたちをチェックするようになっていったというか。渋谷は僕にとって、日本のカルチャーの発信の場所だった。だから意識的に渋谷系を聴いてますっていう感じではなかったんですよね。ただその震源地が渋谷だったっていう。


K:渋谷のHMVが当時すごかったんですよね。当時私は練馬に住んでたんですけど、練馬から一番近い繁華街のレコード屋さんが池袋で。池袋WAVEも盛り上がってたんですけど、そこからちょっと電車に乗って渋谷に行っていて。中学生からすると遠かったんですけど、どうしても渋谷のHMVでピチカート・ファイヴのCDを買いたかったんですよね。


N:渋谷のHMVが渋谷系の発祥っていうか、太田さんっていう名物バイヤーがいまして。彼がピチカートだとか、ORIGINAL LOVE(オリジナル・ラブ)とかフリッパーズ・ギターとかと一緒にバート・バカラックとか60年代のイタリア映画のサントラを置いたりとか。


K:サンプリングやオマージュされてるルーツの音楽だったりね。あと当時はレコードからCDに切り替わってしばらく経って、色んな名盤たちがCDにリイシューされてたんですね。だから当時私は新譜も旧譜も同じ感覚で聴けていたっていうのが自分の音楽体験の基礎になってて。そうなると音楽の中で世界旅行ができて、日本の音楽だけど日本っぽくなかったり、海外の音楽だけど日本ぽかったり、そういうのを感じていました。90年代って素晴らしい時代ですね。


N:それがまさに渋谷系だと思います。当時、高校生の女の子とかでもレコードを聴いていたのよね。それがDJにも繋がると思うんだけど。


T:CD時代になって名盤が再発されたりしてたけど、みんながアナログを聴くようになった時代でもありますよね。DJしかレコードをプレイしない、DJ以外はレコードを買わないっていう感じだったのが、渋谷系が出てきて一般の人もレコードバッグを持つような時代に。


K:そう考えるとDJカルチャーにもめちゃめちゃ影響を与えている渋谷系、ピチカート・ファイヴなんですね。



トークの続きはアーカイブをチェック。5月6日まで視聴可能。


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written by 編集部



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