R & B界の帝王・R. Kelly(アール・ケリー)はどのような人物なのか?

R. Kellyの人生を変えたマイケルジャクソンとの出会い
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2018.05.27 02:09

噂が絶えないのはセレブゆえ




「R & B界の帝王」として確固たる地位を築くR. Kelly。R & Bという音楽ジャンルに囚われず、時代の流れを読んだアルバム作りに才能を感じる人は多い。セレブだからこそ様々なゴシップも流れるが、実際はどのような人物なのだろうか。自伝やインタビューなどから垣間見える彼の素顔を探ってみた。


R. Kellyの音楽ルーツ


R. Kellyは1967年1月8日、アメリカイリノイ州シカゴで生まれる。本名はロバート・シルヴェスター・ケリー。母子家庭で3人の兄弟や親戚と共に貧しい環境で育つ。母親は休日になると教会で歌うゴスペル・シンガーだったこともあり、R. Kellyは小さな頃からゴスペルやソウル・ミュージックに親しんできた。母親の友人がくれたキーボードで作曲することを覚え、歌っては周囲から才能があると褒められ続けた。けれどもR. Kellyは読み書きが非常に困難な難読症で、学校の勉強にまともに付いていけずコンプレックスの塊だったようだ。


R. Kellyは音楽だけではなく、バスケットボールも大の得意で、その実力はケンウッド・アカデミーへ進学させるほどだった。この高校はラッパーのダ・ブラットやチャカ・カーンの母校でもあるくらい、音楽で有名な学校である。ここでレナ・マクリンという音楽教師に見初められたことで、音楽の道に進むことを決意。マクリン先生は初対面で「あなたはマイケル・ジャクソンに曲を書く」と言い放ったと言う。




マクリン先生自身はゴスペルの父と称されるトーマス・A・ドーシーの姪で、ブラック・ミュージックもさることながら幅広い音楽ジャンルに精通していた。その影響でR. Kellyも様々なジャンルを覚え、スキルを積み重ねていくこととなる。なお、R. Kellyの作品のサンクス欄には、母ジョアンの名と第2の母・マクリン先生が連なって記されている。


マイケルとの感動的な出会い


R. Kellyがデビューしたのは1989年のこと。グループで活動していたが内輪もめで解散し、2年後に新たなグループでメジャー・デビュー。そしてソロ・デビューしたのは1993年。製作中に母が亡くなるという悲しい出来事に襲われたものの、完成したアルバム「12 Play」はR & Bチャート1位を12週連続で死守するという快挙を成し遂げる。R & B界の王者として名を馳せたR. Kellyは、プロデューサー業もスタート。


1995年には、マクリン先生の予言が的中する。マイケルに贈った「You Are Not Alone」がリリースされたのだ。R. Kellyの自伝本には、マイケルと初めて会ったときの興奮が詳細に書き記されている。マイケルはレコーディングのためシカゴへ来てスタジオでR. Kellyに会うと、ハグをして「世界中がこの歌を歌うことになるよ」と言ったそうだ。さらに「僕そのままを書き写したこの曲を愛している」と絶賛。R. Kellyは言葉を失い、洗面所に駆け込む。感激のあまりにマイケルの前で泣き崩れてしまいそうになったからだ。マイケルの精神をどう解釈したかが、しっかりと伝わっていたことに対する感激である。




それだけでなくマイケルはR. Kellyにバック・グラウンドを歌わないかと提案。R. Kellyはスタジオに入っていく前の心境を「まるでちっちゃい女の子のような気持ちだった」と語っている。


「You Are Not Alone」は各国で首位を獲得し、『ビルボードTOP100で初登場1位を獲得した初の曲』としてギネスに認定された。この曲はマイケルの言葉通りに世界中で歌われたことになる。



R & Bという枠に囚われない楽曲作り




R. Kellyは、2004年の『bounce』257号のインタビューで音楽作りに関してこう述べている。「音楽に関しては自分をサイエンティストだと思っている」と。サイエンティストのように物を作り出し発明し、発見する。人が自分の後を追いたいと思ってもらうには、新しいものを作り人にインスパイアを与えることが大事だと語る。


だからR. KellyはR & Bとヒップホップを融合させたりR & Bとゴスペルを融合させたり、そして時にはネオ・ソウル、レゲエなどを織り交ぜつつ、新たな音楽を生み出し続けているのだ。いまや「R & B界の帝王」どころではなく「音楽業界の帝王」と言えるのかもしれない。


Photo: https://www.facebook.com/Rkelly/


Written by 編集部



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