ナイアンティック川島優志と ☆Taku Takahashiが「なぜ日本人は外に出ないの?」を語る、ハチャメチャな「行動力」とヒトが外に出るべき理由

『ポケモンGO』を作ったナイアンティックで活躍する川島さんが、日本人の海外進出や好奇心、行動力について色々教えてくれたぞ!
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2017.11.27 02:00

『ポケモンGO』を知らない日本人を見つけることなんて、もはや珍しいはずだ。スマホゲームのグローバルカルチャー化、ARなど、『ポケモンGO』が、2010年代を代表するムーヴメントの一つになったことは間違いない。このカルチャーフェノメノンは、一体何を伝えたかったのか? 真相に迫るべく、☆Taku Takahashiが、『ポケモンGO』や『Ingress』を開発したナイアンティック(Niantic Labs)のサンフランシスコ・オフィスを訪れ、エグゼクティブプロデューサー兼アジア統括本部長の川島優志さんと長時間に渡って対談した。アメリカでの生活や、『ポケモンGO』開発の裏話、そしてとりわけ二人が最も熱く語った「日本人はなぜ外へ出たがらないのか?」まで、さまざまなテーマでアイデアをシェアし合った対談の模様を見て欲しい。


* * *


▷川島さんがアメリカに行こうって思った1990年代後期〜2000年代始めは、自作CD-ROMを始められたり、日本でもCD-ROMが新しいメディア、マルチプラットフォームのメディアとなり始めた時代ですね。プログラミングへの関心はどこから始まったんですか?


川島優志(以下、川島):僕はプログラミングを始めたのが、小学校3年生頃なんですよ。ずっと親に「ファミコンを買ってくれ!」って言ってたんですよ。で、親がついに買ってきた。でも、買ってきたのが、実はファミコンじゃなくて、セガの『SG-1000Ⅱ』っていうゲーム機(笑)。



もう「これじゃない!」っていうやつで(笑)。だけど、親父はよくわかってない。「買ってきたぞ。喜べ!」って言われて。「これじゃないから返品して」って言いづらいから、結局遊び始めたんですよね。


良かったのは、『SG-1000Ⅱ』ってキーボードがついてて、初歩的なプログラミングができたんですよね。これが僕がプログラミングを始めたきっかけになって。当時、セガはすごく面白いゲームがいっぱいあったのも、良かったなって今になって思うんです。だから、ゲームで遊ぶだけじゃなくて、プログラミングを自分でなんかやってやろうって。いろいろコンピューターグラフィックで生成するやり方を小学校3年生なりに一生懸命やってるうちに、すごくそれが面白くなって、それが今に繋がってるっていう感じですね


▷ファミリーベーシックみたいなのがついてたんですね。


川島:『SG-1000Ⅱ』のバージョンは普通にBASICが使えて、ちょっとしたゲームみたいなものも結構しっかりと作れて、すごく良かったですね


▷そしてマイクロソフトやアップルみたいに、自分が面白いと感じるものがアメリカにあるっていうところで、行ってみようと。仕事のアテはあったんですか?


川島:仕事のアテなんて全然なかったですよ。アテどころがツテも全然無し。現地の知識すら持ってない。アメリカにたどり着いて、その日泊まる宿すらも決めてなくて。とりあえず「バスに乗ちゃえ、終点で降りよう、そこが運命の地だ」と思って、サンフランシスコの街に行った感じでした。


初日ホテルを見つけて、フロントで「泊まりたいんだ」って言っても、相手の言ってる英語が理解できないんです。言われるまま「うんうん」って言ってたら、すっごい豪華な部屋に通されて、「うぉー、やっぱりアメリカすごいな!最高だ!すごいスタート切っちゃったな、俺!」と思って。で、次の朝起きたら、ドアの下に請求書が入ってて愕然。ものすごい額で、それで再び「うぉー」ですよ。


所持金が一気に吹っ飛んでくイメージが頭を駆け巡って。そこからもっと安くてちゃんと泊まれるところを探そうっていう、学びでした。


▷当時ってインターネットがどれくらい普及してる時代ですか。


川島:インターネットは電話線に繋いでピーピピピピってやる時代でしたね。だから、ネットより、ガイドブック頼り。


▷でもやっぱりITに関わっていきたいという思いは強かったですか?


川島:もちろんそうですよ。パソコンと自分の腕だけで生きていくんだって気持ちだったので、「成功するまで絶対日本に帰らない」って友達全員に言い続けてきた。そしたら現地の友達から「お前はビザを持ってるのか」って聞かれて。「もちろん持ってるよ。バカにするなよ」って言って、自分のVISAカード見せて。「もしかしてビザ持ってないのか」って言われて、初めて「何のこと?」って。「旅行者ビザで来てるから、3ヵ月で帰らなきゃいけない。不法滞在になるぞ」と教えてもらって、「そうなのか!」と(笑)。あれだけ大きなこと言って出てきたのに、3カ月で帰国。


ビザを取るためにまず考えたのが学生ビザ。ロサンゼルスのすごく安い語学学校がビザを出してくれるって聞いたから、LAに移った。そこから7年間LAで過ごすことになるんですよね。もちろんLAでも、どこに泊まるか決まってなくて。


最初はモーテルに1週間滞在。次に探したのが、家賃250ドルの超ボロボロのアパート。共同のお風呂とキッチンがあったけど蜘蛛の巣だらけ。キッチンでコンロ回すとヌチャって音がする。部屋も狭いし、掃除されてない。でも250ドルは激安だったから、見つかった時はすごくうれしくて。


しばらくは語学学校やるかーみたいな感じでしたけど、別に語学をやるために来たわけじゃないよなって考え直して。だから、次は「起業しよう」と。自分で会社を作って、社長になれば、労働ビザもらえるじゃん、って思った。


そこで、図書館に行って、起業の本を借りてきて、本の付録に付いてたフロッピーディスクに入ってた書類のサンプルをちゃちゃっと書き換えて、パッと提出したら、意外と簡単に会社できちゃった。「よっしゃ」と思って、次は俺がビザもらう番だと思ったら、ちゃんと会社を経営した実績ゼロだからって、そう簡単にビザが出ないんですね。


でも、僕は労働ビザがないので、自分の会社でも働けない。起業した後でそれが分かって、どうしたもんかなってなっちゃったわけですよ。ずーっと、そうやって行き当たりばったりで、問題にぶち当たるたびに、どうしようと考えながら人生走ってきた。


だけど、一生懸命やっていると、救いの手を差し伸べてくれる誰かがいるんですよね。これは本当に終わったなって思うと、どうしたことか次に繋がっていく。その頃、僕にとってひとつの転機となるプロダクトを作ったんですよ




▷何年頃ですか?


川島:2000年に渡米したので、2001年ぐらいですかね。


▷僕がm-flo始めたくらいです。


川島:それは面白いですね。ちょうどTakuさんも同じ時代のロサンゼルスを見てるはずですよ


▷そのプロダクトってどういうものを作ったんですか?


川島:地図です。ロサンゼルスって駐車違反の切符をめちゃくちゃ切られるじゃないですか。僕もすごい困ってた。そこらへんに警察が隠れていて、料金メーターが4時になったら赤く変わるから、4時1分で駐車違反の切符を切りに来るとか。意地悪なところがいっぱいあったんですよ。


僕も何回か罰金払うたびに、なんでこんなシステムなんだろうと思ってたんです。駐車場の表記だってすごくわかりづらい。10ドルって書いてあるから入れたら、「最初の15分10ドル」だったと後で分かったり(笑)。そういうところが嫌だった。


それをデザインで解決できないかなって思って、ストリート毎にここだったら停められる/停められない場所や、時間も表記して、4時以降はここがダメですとか、ひと目でわかる地図を作ったんですよね。


その時、ちょうど地図の印刷をお願いしていた会社の人から、近くのデザインプロダクションのマルチメディア部署でスタッフが必要だからちょっと会ってみないかって話をもらったんですね。そこだったらビザを出してくれるかもしれないって思って面接を受けにいったんですよね。結局そこで採用になって、グーグルに入るまでそこでお世話になったんです。


日本人は石橋を叩きすぎて自分で壊してる




▷どういうきっかけでグーグルに移ったんですか?


川島:きっかけ、何だったかな


▷就職されたデザイン系の会社っていうのは、IT的なことをけっこう始めてるところだったんですか?


川島:そうですそうです。けっこうクライアントも多くて。大きい会社が多かったですね。日本の会社の仕事も受けてて、Pioneerだったり。当時はジェネオンって言ってましたけど。あとはバンダイ、ANA、SANYOさんだったり。


これは僕がどれだけ英語ができなかったかっていう話ですけど、入ってから1年目に会社のパーティーがあったんですよ。そこで僕を雇ったマネージャーと2人で呑んでいて、彼が僕に、「今だから言うけど、君が入ってきた時、面接でいっぱいプレゼンテーションしてくれただろう」と。面接の時、僕が一生懸命プレゼンして、自慢のポートフォリオを全部説明してたんですよ。でも、「あの時、俺はお前の英語が何言ってるのかさっぱりわからなかった」って。大ショックですよ。


「言葉通じてなかったけど、実力ありそうだったから入れた」的に言ってくるんですよ。そして「今はずいぶんマシになったじゃないか」みたいな話してきて笑ってた。でも、僕はショックでしたよね。そんなに英語はできてなかったのかと。


だけど、働き始めてから英語力ってすっごい上がったんですよね。周りのチームメンバーが使ってる英語と話し方を端から真似て。だから、生の英語を吸収できた。


▷日本で英語を勉強しても、そうはならないですよね。


川島:日本人は、外国で働きたいけど、まずは言語をちゃんとさせてからじゃないと恥ずかしくて海外に行けないって考える人がいっぱいいると思うんですよ。


TOEICで何点以上取らないと、通用しないとか。だけど、面接で英語が全然通じない人間でも一生懸命やれる情熱と、ちょっとの運が大事。行ってから学ぶことが多かったりするんです。まずは行ってみるってことが大事なのかなって思いますよね。頭の中で考えすぎても、先のことって予測できないじゃないですか。


僕は昔を振り返った時に、まったく自分を理解できないんですよ。本当に野垂れ死んでてもおかしくなかったし、あの人が助けてくれなかったこんなところにいなかったとか多々あります。でもそういうことが起こるっていうのは、事前に予測はできないわけですよね。だから、「こうしよう」「ああしよう」とか、3年計画みたいなのを立てて外国に来るっていうよりは、何が起こるかわからないけどやるだけやったれ!みたいに来ても、案外うまくいくことはあるんだよっていうのは伝えたいなって思いますけどね


▷日本人は石橋を叩きすぎちゃって、自分の橋を壊しちゃうくらいですからね。


川島:大事なことだとは思いますけどね(笑)。いろいろ調べて、ちゃんと石橋を叩くっていうのは。


▷叩きすぎ。


川島:叩きすぎて自分で壊しちゃう。そんなに叩かなければ渡れたのに(笑)


▷逆を言うと、川島さんの場合は叩かなすぎ(笑)。ぴょーんって飛んじゃったみたいな。


川島:飛んじゃったっていうか、入り口や正道を通ってない。ただ、当時はその道しかなかったんだろうなって。点と点がどこで繋がるかは、振り返ってみないとわからないってスティーブ・ジョブズもスピーチで言ってたことがあるんですけど、本当にわからないですよね。だから今も損得勘定であまり動いてないですね。それがどこに繋がるかとかあんまり考えないで引き受けたりしてますね。


スクリーンの前で何でもできる便利な時代は、本当に幸せなのか?




▷そのあとグーグルに入られる。


川島:僕はグーグルではウェブマスターっていう役職で。グーグルは創業から社員はエンジニアばっかりだったわけですよ。アート系の授業を学んだ人っていうのがすごく少なくて。


僕を雇ったマネージャーのデニス・ファン(Dennis Hwang)って人間がいるんですけど。彼はグーグルが100人もいないような時からインターンをしてた人物で、彼がアートとコンピューターサイエンスを大学で学んていたから、会社から「祝日のロゴをデザインしてくれ」って言われた時、彼が始めたのがグーグルのホリデーロゴのデザイン。今で言うと「Google Doodle」ですね。祝日とか特別な日を祝ったりするために、グーグルのロゴが変わるデザインを本格的に専任でやり始めたのが彼なんですよね。



(デニス・ファン)

僕は彼のチームに入ったんです。彼が1人では描ききれなくなった時に、アメリカ人以外では僕が初めて一緒に描き始めました。その後は、アジア中心にいろいろなロゴをずっとデザインしてきましたね。だからデザイナーですよね。とはいえ、ウェブマスターっていう部署は、フロントエンドのプログラムもたくさんやったり、デザイナーもプログラミングしなきゃいけないっていうところで、自分にはすごく合ってたんですよね。



▷ナイアンティックを始めようっていうきっかけはグーグルにいる頃なんですか?


川島:グーグルではアジア太平洋チームの立ち上げとマネジメントを最初の4年はやってました。そのあとでカリフォルニアの本社に戻って、グローバルのデザインチームのマネジメントをしてたんですよ。でも、段々マネジメントよりは、自分の手を動かす仕事をもっともっとしたいって気持ちが傾いてきたんですよね。


ちょうどその時、僕をグーグルに引き入れてくれたデニス・ファンがナイアンティックラボ(Niantic Labs)に移っていったんですね。ナイアンティックラボっていうのは、グーグルの社内スタートアップで、ジョン・ハンケ(John Hanke)っていうグーグルアースを作って、グーグルマップを率いてきた副社長が、まったく新しいことをやりたいって2010年に立ち上げた独立組織なんです。


そこに移ったデニスも、僕にずーっと「こっちに来い」って話をしてたんですよね。そこだと自分の手を動かす仕事ができそうだと思って移ったんです。ナイアンティックラボ最初の日本人だったんですね。


ジョンとは「世界を変えるにはどうしたらいいか」って話で盛り上がった時、彼が「世界を良くするには、人がもっと外に出ればいい」っていうことを言って。それを聞いて僕は「人が外に出たら、なんで世界が良くなるんだ?」と疑問だったんですけど。


でも、よく考えてみたらすごく深い。すごくいい考え方だなって。人の根本を変えてるんですよ。今の世界って、いろんな問題があるんだけど、その問題の根っこの部分にあるのは何なのかなって考えた時に、本当にテクノロジーがいい方向に使われてるのかってことに対して、もっとみんな真剣に向き合って考える必要があるんじゃないかな。


実際、これだけ便利になって、人の幸せ度も上がってると思います。一方で、スクリーンの前に座ってる時間って、大人だったら一日平均9時間。子どもでも3時間くらい。子どもの約80%は、必要な運動が足りていない。世界では、毎年530万人くらいの人が運動不足が原因で亡くなっている。


ジョンは、スクリーンの前に座れば何でもできる、便利な時代に時代になったことが、本当に幸せなのかなって思ったんですよ。ジョンの子どもも、晴れた週末でもずっとテレビの前でゲームをやっていたそうです。なんとか彼を外に出せないかなーって考えてた。ジョンの子供時代は、夕方外に出るといろんな人が近所を歩いていて、「こんにちは~」って会話をいっぱいしていたんだけど、今のアメリカのコミュニティだと、外に出ても人がいない。みんな車で職場と家を往復するだけ。街中にも人が歩かなくなったんですよ。


もっと人が外に出ることで、歩かなきゃいけなくなるし。例えば15分で行けるところに1時間かけさせることができれば、立ち止まってちょっと見てみたら、本当に素晴らしいものだったりすることがいっぱいあるんですよ。東京なんてそういうものがいっぱいあるし、自分の街がつまんないなって思っていても、実はそういう見過ごされているものがあったりするんですよね。


▷出会いがあるかもしれないし、発見もあるかもしれないですね。


川島:ナイアンティックに加わることに決めたのも、そのアイデアがすごい腑に落ちて、すごいシンプルなことなんだなと感じたからなんです。それが何かが良くなるっていうところに繋がっていくんですよね。風が吹けば桶屋が儲かる的な感じで。


『ポケモンGO』につながった『Ghost In The Shell/攻殻機動隊』と思い切りの行動力




▷当時『Ingress』の話ももう出ていたんですか?


川島:もちろん。ちょうど『Ingress』の本当に初期のバージョンが出た時だったんですよね。



▷「『Ingress』でやりたいことはこういうことだ!」って話をそこでされてた感じなんですか?


川島:そうですね。ちょっと話がそれるんですけど、グーグルってすごいいっぱい履歴書が勝手に届くんですよ。だから、履歴書を見るだけでもすごい時間がかかるんだけど、採用に力を入れてるから見ないといけない。僕がグーグルに応募した時、デニスがその中のたくさんの履歴書から僕に目が止まったかっていうと、僕が履歴書に書いた過去の仕事の中に、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の関連サイトを作ってたって書いておいたんですね。デニスは『GHOST IN THE SHELL』の大ファンで、「こいつ、『GHOST IN THE SHELL』やってる!」と思って履歴書を見たって話なんですけどね。僕は冗談だと思ってるし、『GHOST IN THE SHELL』がきっかけだったっていう話をすごくニコニコしながら僕に言ってきたんですよ。


それを聞いた時に、本当に面白いなと思って。ロサンゼルスのデザインプロダクションに入ってなかったら、『GHOST IN THE SHELL』の仕事をしてなかったら、なかったわけですよね。彼がファンでもなかったら、それもなかったわけですよ。




▷はははははは。そういうきっかけや偶然があって。話しててすごく思ったのは、それこそ外に出て遠回りしたほうがそういうきっかけって増えそうな気がしますね。


川島:そうなんですよね。僕もすごい遠回りだったんですけど、結局それが道だったみたいな。たどり着く最短距離だったのかもしれないし。


回り道をするか、1本隣の道に入るか、今まで通ったことない路地を通ってみるかってことが、実は人生を変えることにつながるかもしれない。自分のやりたかったことにたどり着くいい道だったってことが、すごくあると思うんですよね。


だから、どれだけ回り道をするか。回り道って、無駄なことって思えるけど、実は近道なんじゃないか。一見無駄に見えることが、実は人間にとってすごく大事なことで。この仕事をしてて、すごく思いますね。


▷『ポケモンGO』のきっかけが、そもそもグーグルマップにポケモンを乗っけたっていう表現はあってますか?


川島:そうですね。2014年にエイプリルフールのプロジェクトで、グーグルマップが「ポケモンチャレンジ」っていう企画をやって。「ポケモンチャレンジ」って、グーグルマップ上にポケモンが現れて、世界中にいる151匹全部見つけたら、グーグルからポケモンマスターっていう証明書がもらえますよっていうエイプリルフールの企画だったんですね。だけど実際に遊べちゃうものだったんです。


同時に公開されたプロモーションビデオが、コンセプトムービーみたいになっていたんですね。グーグルマップじゃなくて、実際の砂漠を若者が歩いて、スマートフォンをかざすとそこにポケモンが現れて。砂漠を走って逃げるポケモンを人が捕まえる! 



エイプリルフールが始まるちょっと前に、僕はそのムービーを見たんですね。その時に、ちょうど僕たちは次のプロダクトを社内でブレインストーミングしていて、これだ!と思ったんですよね。


これだったらナイアンティックでできるというアイデアが空から降ってきたというか、強く実感できたんです。その時、ジョンも近くにいたから、「ジョン、これ見ろよ」って感じで、「絶対これチャレンジしてみるべきだ」って言ったら、ジョンも「これだ!」って感じだった。


当時、僕はアメリカ本社にいたんですけど、実はグーグルマップの「ポケモンチャレンジ」を作ったエンジニアの野村達雄もアメリカ本社にいて、知り合いだったんですよ。なので、彼にすぐ「ジョンと会ってくれ」とメールを書いて、「ぜひポケモン社の人に会って話をしたいから、間を繋いでほしい」と頼んだんですね。彼の仲介で、ジョンと僕、達雄、ビジネス担当の人間でポケモン社に話をしに行って、そしたら向こうと意気投合しちゃって、『ポケモンGO』プロジェクトが始まるんですよね。


野村達雄はそのあとプロジェクトのリーダーとして、ナイアンティックに加わってくれることになり、ずっと率いることになるんですけど。点が繋がってくるんです。





▷共通するのは、思ったらすぐ行動してますね。


川島:そうですね。それが良かったですね。ちょうど、野村達雄にメールしたら、彼が「ポケモンチャレンジ」のPRのために4月に日本へ行くことが決まっていて。だから、「その時にポケモン社の人に話しをしますよ」って彼が言ってくれたところから、ゲーム開発につながっていったんですよ。


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川島優志 | Niantic, Inc. エグゼクティブプロデューサー兼アジア統括本部長


2015年10月にNiantic, Inc.(ナイアンティック社)の設立と同時に、アジア統括本部長に就任。2013年、Googleの社内スタートアップとして発足したNiantic Labsの UX/Visual Designerとして参画、Ingressのビジュアル及びユーザーエクスペリエンスデザインを担当。また、プレイヤーが現実世界でポケモンを探し、集める、スマートフォンゲーム『ポケモンGO』では、開発プロジェクトの立ち上げを担当しました。


早稲田大学を中退後、2000年に渡米。ロサンゼルスでの起業、デザインプロダクション勤務を経て、2007年にGoogle へ入社。アジア太平洋のウェブデザインチームを統括、日本人としては世界で初めて「Doodle(祝日や記念日に変更されるGoogleのトップページロゴ)」をデザインしました。東日本大震災時はクライシスレスポンスウェブチームを立ち上げ、その経験をTED x Tohoku などで講演。2011年より、米Google本社に移籍し、コンシューマープロダクトウェブデザインのグローバルチームの統括に従事しました。


Niantic Labs

川島優志(@mask303)

Top image:(左)川島優志 | ナイアンティック社エグゼクティブプロデューサー兼アジア統括本部長、☆Taku Takahashi | m-flo、block.fm

Interview by ☆Taku Takahashi

Edit by ☆Taku Takahashi & block.fm編集チーム

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