【追悼】音楽プロデューサーのPhil Spectorが死去、「ウォール・オブ・サウンド」を開発

The Beatles関連のプロデュースをはじめ、数々の功績を残すも2009年に殺人罪で禁錮19年の判決がいい渡されていた。
SHARE
2021.01.18 06:00

ポップミュージックの発展に多大な影響をもたらした音楽プロデューサーのPhil Spectorが81歳で死去したことが明らかになった。



ポップミュージックの発展に多大な影響、"ウォール・オブ・サウンド"を開発  


Phil Spectorは、10代から音楽活動を開始。1958年にLAでロックバンド「The Teddy Bears」を結成し、バンド解散後には音楽プロデューサーに転じ、ボーカルグループの「The Crystals」、「The Ronettes」のほか、 The BeatlesやそのメンバーだったJohn Lennon、George Harrisonらの作品のプロデュースも手がけたことで知られる。


また、"ウォール・オブ・サウンド(Wall of Sound)"と呼ばれる、多くのスタジオミュージシャンを起用し、長時間をかけて複数のテイクを録音。その音を重ね、エコーをかけて分厚い壁のような音を作る音楽制作手法を1960年代後半に開発するなど、ポップミュージックの音源制作の面でもその発展に大きな影響を与えた。






2009年に殺人罪で禁錮19年の判決がいい渡される 


しかし、70年代ごろから薬物や奇行も目立ちはじめた。その後、1980年にRamonesのアルバム『End of the Century』をプロデュースして以降は第一線から退いていたが、2003年に俳優のラナ・クラークソン(Lana Clarkson)を射殺。その罪により、2009年に殺人罪で禁錮19年の判決がいい渡され、カリフォルニア州立刑務所の薬物中毒施設に収監されることに。また、2014年には病院内で倒れ、刑務医療施設に移送されたことが報じられていた。 


現段階では、2021年1月16日(土)午後6時35分に自然死を宣告されたと報道されているが、死因については、今後、彼が死去したカリフォルニア州にあるサンホアキン郡保安官事務所の検死官によって正式な死因が決定されるという。


日本でも大瀧詠一や山下達郎が影響を受ける


The Beatles『Let It Be』やJohn Lennon『Imagine』、The Ronettes「Be My Baby」などポップスの名盤や名曲に数多く関わったPhil Spectorは、1989年にロックの殿堂入り。1997年にはソングライターの殿堂入りも果たした。2004年にRolling Stoneが発表した「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」では第64位にランクインしている。 


また、先述の"ウォール・オブ・サウンド"は、大瀧詠一や山下達郎のような職人肌のミュージシャン、プロデューサーにも影響を与えていることから、Phil Spectorがいなければ、近年の再評価によるシティ・ポップブームのようなものも起こらなかったかもしれない。



音楽面での功績に反して、殺人罪という重い罪を背負っていることから評価は難しい部分もある。しかし、仮に人格と音楽を切り離して考えた場合、やはり彼の音楽的な功績は大きい。  


なお、彼の元妻でThe RonettesのメンバーだったRonnie Spectorは、自身のTwitterにPhil Spectorを追悼するコメントを投稿。彼と彼との仕事で生み出された音楽を称賛しつつ、夫としてはひどい人物だったとしており、彼に対する複雑な評価が感じ取れる。


written by Jun Fukunaga 


source: https://www.rollingstone.com/music/music-news/phil-spector-dead-obit-67459/


photo: Kingkongphoto & www.celebrity-photos.com



SHARE