なぜキム・カーダシアンは炎上したのか? SNSで批判される昨今の「文化の盗用」問題とは 音楽とファッションから考える

キム・カーダシアンがSNSで公開したヘアスタイルが文化の盗用だとして炎上。そのことから考える文化の盗用問題
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2018.02.01 02:00

カニエ・ウエスト(Kanye West)の妻でセレブとして有名なキム・カーダシアン(Kim Kardashian)が、TwitterやInstagramで公開したヘアスタイルが「文化の盗用」だとして炎上騒ぎを起こした。 


キム・カーダシアンの「コーンロウ」が文化を盗用していると炎上  


キム・カーダシアンは最近、髪を編み込んだ「コーンロウ」スタイルの自身の写真を公開。それがブラックカルチャーを盗用していると多くのネットユーザーの間で批判を浴びることになった。



今回の炎上騒動は昨今、音楽、映画、ファッション、アートなどポップカルチャーの世界でも問題になることが少ない「文化の盗用」に関する出来事として海外で注目を集めている。  


「文化の盗用」とは、簡単に説明するとマジョリティーがマイノリティーの文化を搾取的に使用すること。この場合だと人種的に黒人でないキム・カーダシアンが黒人文化の一種として考えられているコーンロウにしたことで、あたかもコーンロウが彼女の人種、つまり黒人以外の人種からの固有の文化的なトレンドとして発信している見做され、文化を盗用したということになる。そのため批判が起こり、炎上騒ぎになっているというわけだ。  


日本人からも注目された「カーリー・クロス」文化の盗用問題  


日本人にはあまり聞きなれないこの文化の盗用問題。しかし、そんな日本人にとっても関わりがあるのが、昨年起きた人気モデルのカーリー・クロス(Karlie Kloss)による日本文化盗用問題だろう。これはファッション誌Vogueが、アジア系のモデルを使わず、人種的にも日本に縁もゆかりもない白人のカーリー・クロスを抜擢し、着物を着せ、日本人風にさせた上で撮影を行ったことが、日本文化の盗用だとして批判、炎上することになった問題だ。  


その炎上騒ぎについて、カーリー・クロスは文化の盗用に関わったとして、のちに謝罪。しかし、文化を盗用された側とされる当の日本人のほとんどからは、この行為が盗用だと思わないという声が数多く上がったこともあり、日本でも「文化の盗用」という問題が一時注目された。



日本人にとって文化の盗用と「オマージュ」や「インスパイア」といった言葉のもと、模倣されたり、新たに生み出される文化的な創造物の線引きは非常に難しいと思える。なぜなら日本は、アメリカのような多民族国家ではないからだ。そんな国に住む我々からしたら、なぜ、このカーリー・クロスの一件が問題なのかなかなかピンとこないという意見も率直な意見だろう。  


文化の盗用で問題になるのは、先述のとおり、マジョリティーがマイノリティーの文化を許可なく我が物のように使用するということだ。そのことから考えると例えば、ファッションなら数年毎にトレンドに上がる「フォークロア」と呼ばれるようなネイティヴアメリカンなどマイノリティーの文化にインスパイアされたものがあることはご存知だろう。だが、それを固有の文化として持たない人種が利用、発信することは文化の盗用にあたる。  


アメリカの場合だと、そこにはマジョリティーである白人によって迫害された歴史を持つ、マイノリティーであるネイティブアメリカンの文化をそこにルーツを持たないものがあたかも自分たちの文化のように使用することは人種差別になると考えられているからだ。  


キム・カーダシアンの場合はマイノリティーが黒人、カーリー・クロスの場合だと日本人と置き換えられ、社会的に立場の強い側が、弱い側から搾取、盗用するという図式が成り立つ。そのため多様性を重んじるべきという風潮が強い現代社会ではこういった文化の盗用と考えられるような行動は人種差別だとして批判にさらされることになるのだ。  


しかし、こういった現状や考えがあるため、文化の盗用は批判されるべき問題だと言われても、これまで問題に関心がなかった人にとってはまだまだわかりづらいと思う。キム・カーダシアンのケースだとマイノリティーである黒人文化をそこにルーツがないにも関わらず使用したために盗用だと批判された。このことについてはなんとなくこれまでの説明で理解してもらえたかもしれない。しかし、なぜ、カーリー・クロスの件が日本人にとってあまり問題だとされなかったかはこれだけだと理解することが難しい。  


違うルーツを持つ人間が別の文化を使うことは盗用なのか?


違うルーツを持つ人間がほかの民族や人種の文化を使うことは文化の盗用なのか? そのような疑問に対して、興味深い考え方を示していたのが、書評サイト東雲製作所の「文化の盗用と関西弁」という記事だ。その記事はカーリー・クロスの日本文化盗用問題を例にしたものなのだが、それによるとパブリックドメイン的なものに対しては、文化の盗用という概念はあまり意識されにくいという。 


記事では、 


“例えば、外国人が日本語を話しているのに対し、文化の盗用だ! などと言う人はいない。日本語はパブリックドメインになっていて、誰でも自由に用いることができるという意識が共有されているからだ。スーツは元々英国の民族衣装だが、アジア人やアフリカ人がスーツを着ていても文化の盗用だなどと言われることはない。スーツもパブリックドメイン化しているからだ。 和服について日本人の多くはパブリックドメインだと考えている。従って、モデルがバッシングされている時、多くの日本人は理由が分からず戸惑っていた。おそらく、批判していた欧米人は、和服は日本人の私的な物であり、パブリックドメイン化されていないと思っていた。そのずれが欧米と日本での反応の違いを生み出したのではあるまいか” 


という考えが示されており、日本に住む日本人からはカーリー・クロスは文化を盗用したとは考えにくいようだ。ただ、この場合、もしかしたらアメリカに住む日系人のコミュニティーからは、文化の盗用が指摘されることもあるだろう。なぜなら、アメリカにおける日系人はマイノリティーだからだ。  


そう考えると、アメリカにおいては、白人なのにラップするエミネム(Eminem)はマイノリティーである黒人文化の盗用者であり、黒人なのにカンフー着を着てラップするMVを作ったケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)もまた中国系の文化の盗用者という風に考えることができるかもしれない。本人たちにその気があるないに関わらず、そういった風に捉えられることは恐ろしいことだ。



フェスファッションのトレンドも文化の盗用だと議論に  


文化の盗用を批判する人が気にくわないとするのは、マイノリティー文化を我が物のように振る舞う姿勢だ。そのため、「金儲けやイメージアップのためにマイノリティー文化を使っている」と思われているキム・カーダシアンのようなセレブは特に批判されやすい。


例えば、日本でもフェスファッションのトレンドとして紹介されるフォークロア風のファッション。これも以前、アメリカのフェスで白人系の有名モデルなどセレブが着るインディアンヘッドピース、ビンディーなどが文化の盗用として批判されている。


これについては、CELESYというメディアが、迫害されたマイノリティーの文化的、宗教的な意味合いがある伝統を理解せず、マジョリティーが勝手にトレンドとして使用を煽ることに、文化の盗用だとマイノリティーが感じていると指摘している。


 

Photo:perezhilton.com  


またアメリカに住む普通の白人家庭の主婦が自宅で子供に着物を着せ、寿司パーティーを行っていたことについてのブログ記事が、文化の盗用にあたるとして批判されたという例もある。この文化の盗用という概念は何もセレブにだけでなく、一般人にも向けられるのだ。  


では、前もって、マイノリティーの文化を使用するために、その文化からの影響を公言し敬意を評すれば、問題が解決するのかというとそうでもないようだ。 今月、Zuhair Muradという中東系のデザイナーが、ネイティブアメリカンの文化にインスパイアされたコレクションを発表するためのファッションショーを行った。


しかし、それもまた文化の盗用だと批判された。コレクションについて、Zuhair Muradは、ネイティブアメリカンの文化にインスパイアされたデザインの服を作ることは、昨今の事情から考えると批判される可能性があることは理解しており、その文化への敬意と理解があることを示した上で自分の創造面での限界を越えたいと願い発表に踏み切ったと発言。だが、そういった敬意があるなら商用にするべきではない。批判をさけるために敬意を示しているふりをしているだけだという批判もあったことからこのことは文化の盗用だとして議論を呼んでいる。



マイノリティー文化に対する無知を指摘されたキム・カーダシアン


今回のキム・カーダシアンの炎上騒動だが、実は彼女はコーンロウに対する敬意と理解は示してはいた。なぜなら以前、同じようにコーンロウにしたことで批判を浴びていたからだ。しかし、今回の件で彼女が敬意を表していたのは、白人女優のボー・ドレイク(Bo Derek)が70年代に出演した映画『10』で演じたコーンロウ姿のキャラクターだった。そのことも、黒人文化に対し、無知であり敬意がないと批判されている原因の1つになっている。




過剰な批判は文化の発展を妨げるのか?  


文化の盗用については、炎上騒ぎが起こるたびに様々な立場、視点から議論が行われている。ただ、先述のカーリー・クロスの件は、本来なら盗用されたと怒るべき立場にいるはずの日本人が気にしていないにもかかわらず、批判を行ったのは第三者である日本人以外の人々がほとんどだ。そのため、この問題については、直接そのマイノリティーグループに属さない人間が過剰に批判する姿勢も行き過ぎたポリティカルコレクトだとしてその姿勢を疑問視する人も決して少なくない。  


今回、挙げたいくつかの例で考えたら、日本人が欧米がメインの発信場所であるEDMやヒップホップの曲を作るのは、その文化の中心にいない、その面ではマイノリティーだから盗用ではないと考え方もできるだろう。また日本の黒澤映画から影響を受けていると言われている『スター・ウォーズ』はアメリカにおけるマイノリティーである日系人の文化の盗用だという考え方もできるだろう。  


しかし、Zuhair Muradのようにマイノリティー文化に敬意を表しているのに文化の盗用だと批判することは問題だとも思える。なぜならカルチャーの世界では、これまでの人類の歴史から考えても様々な文化との異種交配を行うことで発展してきたという歴史上の背景があるからだ。確かに多民族の固有文化をそこにルーツがない人間が、あたかもそこがオリジナルのような顔で発信することは、オリジナル側の人間からしたら文化の盗用だと感じることはあるだろう。だが、敬意を払った上でそこからインスパイアされたものに対しても批判することは、作り手側の創造を制限することにつながることなので、カルチャーの発展という面で考えれば、それもまた問題だと感じる。  


文化の盗用問題は、大いに議論されるべきことだが、本音で言えば、どこかしら過剰なポリティカルコレクトだと感じている自分もいる。しかし、それは自分が際立った人種差別を経験していない幸せな部類の日本人だからなのかもしれない。ただ、多様性が問われるのが現代社会だというのなら、少なくとも影響を受けたマイノリティーの固有文化に対し、敬意をしっかりと表しているものについては寛容さを示めして欲しいとも思う。難しい問題だが重要なのは何が問題かについて考え、より良い解決方法を探り続けていくことだと思った。  


なお、炎上したキム・カーダシアンは、現在はコーンロウスタイルで大胆に乳房を披露した自身の写真を公開したことで、子供がいる母親とは思えない。下品だという意見が上がる一方、Twitterのいいねの数は、本文の執筆時点で17万を越えており、別の意味でも炎上中だ。そちらにはコーンロウでの文化の盗用以上の関心が集まっている。果たしてこれは批判をそらすためのものなのか? そう勘ぐりたくもなってしまうが、もしそうならさらなるバッシングにつながりそうだ。



参考:

Photo: Kim Karashian Twitter

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