カワムラユキが語る、日本発ウォームアップ・バー「しぶや花魁」への想い「誇りをもって遊びましょう」

花魁誕生秘話や2011年の東日本大震災など、様々な体験を乗り越えたパワースポットの原点を彼女に聞いてみた
SHARE
2018.06.20 12:13

文字通り眠らない街渋谷のど真ん中、道玄坂の一角に位置する古民家をリノヴェーションしたしぶや花魁。「ウォームアップ・バー」というあるようでなかったコンセプトで、2010年から渋谷の夜の街を盛り上げ続けた花魁が8周年を迎えた。今回はアニバーサリーを記念してしぶや花魁のファウンダーの1人でもあるカワムラユキにインタビューを敢行。花魁誕生秘話や2011年の東日本大震災など様々な体験を乗り越えたパワースポットの原点を彼女に聞いてみた。


自分の人生の軸に「クラブミュージック」があるから、そこへ向かう「滑走路」になるような場所を作れたらなと


- しぶや花魁8周年おめでとうございます。8年間走り続けて来てここまで続くと思っていましたか?


カワムラユキ:正直全く思ってなかったね。それこそ花魁の開店なんて、ある意味私にとっての「できちゃった結婚」。当時はやろうとも思ってなかった。偶然のご縁。この物件の話をいただいた時にインスピレーションが降ってきたの。


- ウォームアップ・バーのコンセプトもそこから生まれたんですか?


カワムラユキ:もともと20代の頃、スペインのイビサ島に行った時にDOMEっていう面白いバーに出会ったの。人と人がランダムにコミュニケーションが取れる出会いの場で、そこからクラブに行くのが夜遊びのスタンダードな流れ。DOMEを体感した時に、当時の渋谷や西麻布で遊んでいて感じていた居酒屋とクラブの中間の存在であるはずのウォームアップ・バーが、東京には存在していないなという気づきがあったの。


- バーの運営にははじめから興味あったのですか?


カワムラユキ:もともとサービスや飲食の形態を考えるのも好きだったし、日本国内、海外で面白いカフェやバーを訪れる機会も沢山あって、そして自分の人生の軸に「クラブミュージック」があるから、そこへ向かう「滑走路」になるような場所を作れたらなと思って。模索しながら今の花魁の形ができてきたのがちょうど2011年。震災があったころかな。


- 東日本大震災がカワムラさんや花魁に与えた影響ってありますか?


カワムラユキ: 花魁がオープンしたのが2010年。「テン年代」最初の年で、Twitterみたいにソーシャルメディアが一般化して、個々人がメディアになって行く時代の分岐点だったと思う。花魁オープンの時は Twitterのトレンドにも入ったりしたから。それで、ふと「これって何だろう?」って考えが生まれ始めたの。そんな時に震災が起きた。


震災は、今の日本を語る上で絶対に避けては通れない重大な出来事。だから、SNS同士の繋がりも大事だけれど、やっぱり人と人がお互いの人生や価値観を語りながら乾杯できる場所が絶対に必要だなと強く思ったの。block.fmの「shibuya OIRAN WARM UP RADIO」でも「誇りをもって遊びましょう」とよく言うのは、遊ぶことが出来る自分のカラダやエナジーは、生を授けてくれた家族や、関わってきた全ての人との人間関係のおかげだと主張したいから。だから、人生を楽しみ、謳歌することが、人生の美しさだと感じて生きるべき。震災の後のネガティヴな空気の中で気を張って、このスタイルを貫いてゆくことは凄く重要な決意だったわ。


- オープンから8年で所謂「DJバー」という業態もものすごく増えてきましたよね。朝まで営業するクラブとはまた違って、深夜に差し掛かる時間で閉まるのも、あの場所で当時は特別なスタイルでしたよね。


カワムラユキ: ウォームアップ・バーだから、終わったらどこかへ遊びに行きたいよね。私の中でクラブ、特にダンスフロアはとても神聖なもの。花魁はダンスフロアへと繋がって行く道を作って行きたいと思ってる。そして、オープンした当初からアジアの勢いがより増していくのを感じていたから、アジアの代表、アジアの窓口の一つとして東京の渋谷に「アジア全体を遊び尽くして欲しいな」というメッセージも込めていたりね。

(※花魁のホームページのURLも「oiran.asia」になっている)




もし花魁を引っ越すなら、美術館に入りたい。しぶや花魁は「参加型のアートフォーム」だから


- この8年間で音楽やアート方面でも様々な活動があったと思います。「OIRAN MUSIC」を中心にSakiko Osawa、ナマコプリ、あさちるなど沢山のアーティストが活躍の場を広げてますね。


カワムラユキ:アーティストの活動があってこそ。だから、別に花魁のおかげとは思ってないの。でもたくさんの人が花魁を通してステップアップしていくのは本当に嬉しい。例えば、NYのクラブカルチャーが黄金期を迎えた理由として、クラブのVIPやダンスフロアで遊んでいた人がアーティストやDJとして次々デヴューしていく流れがあって。それが自分にとって永遠の憧れみたいにあったから、時代も立場も違うけど、花魁を通してたくさんの若いアーティストたちが羽ばたいてくれたらいいなという想いもあるね。


 



- そこは花魁を始めカワムラユキ自身のポジティヴなエナジーがあってこそだと思いますよ。


カワムラユキ: そうね、人と人との結び付きに対してすごくポジティヴだし、恋愛と一緒で、芸術は恋だし、制作は愛だし。大人の事情やシステムがあってはいけないのがダンスミュージックの世界で、アンダーグラウンドの世界。ビジネスになってコマーシャルになっているものに対して、それらを受け入れてしっかりスジを通すことは間違いじゃない。だけど、自発的に生まれるものは事情を気にせずにやりきった方がいい。人を楽しませると言う意味でのプロフェッショナリズムは常に持っているつもり。私にとって、花魁は家みたいなもの。ビジネスとして成功しているか、やり方が正しいかはわからない。だけど、自分自身が花魁という場所がすごく好きだからこうやって仲間たちとも楽しくやってこれたよね。


- 今、家というワードが出ましたが、例えばいつか家を引っ越すように花魁も引っ越したいと思ったことありませんか?


カワムラユキ: もし花魁を引っ越すなら、美術館に入りたい。しぶや花魁は「参加型のアートフォーム」だから。2010年に生まれた参加型アートであり芸術作品。だからいつか花魁が閉まったりどこかに移動するときには美術館に所蔵されるみたいな感じになれば理想かなと。そもそも古民家をリノベーションした場所だし、2018年以降も再開発が進み続けている渋谷でこのスタイルで維持できているのはある意味で奇跡じゃない?


- コンクリートジャングルの渋谷の街中で異質な空気を放ってますよね(笑)


カワムラユキ: だからこの空間をそのままどこかに遺せたら最高だなと思うの。誰か、このアイデアいかがでしょうか?笑









身近な人から笑顔にして行くことで人生が始まると思うの。働いているスタッフが笑ってくれたり、常連さんが笑顔でいてくれたり、些細なことだけれどすごく重要なことよね


- block.fmで「shibuya OIRAN WARM UP RADIO」、そして「渋谷のラジオ」でも番組を展開してますね。ラジオパーソナリティーとしてやってよかったなとか苦労があれば教えてください。


カワムラユキ: 14歳くらいの頃、音楽に触れ始めたキッカケがラジオで、いつか自分もラジオ番組をやれたらいいなとは思ってた。喋るのは得意じゃないし、向いていない気もするけれど、それでも聞いてくださる方がいて、発信し続けられることは本当に嬉しいことよね。それこそ採れたての音楽や情報、そして才能をすぐに発信できるスピード感はラジオの素晴らしいところ。そして「渋谷のラジオ」は私にとっては公務みたいなもの。しぶや花魁を美術館に入れるためには頑張らないといけないしね(笑)。

 



- 開局当時のblock.fmとの出会いのキッカケはなんだったんですか?


カワムラユキ: もともとTakuさんがLondon Elektricityの原曲でもある「ロンドンは夜8時」 (Lon 8PM ⇄ Tyo 4AM)を当時よくDJでかけて下さっていて。私が楽曲の日本語詞を書いていた事もあり、とあるイベントでお会いできて繋がったのね。だから「ロンドンは夜8時」がキッカケ。それがタイミングよくblok.fm開局時のアンセムになったり。あの曲自体もダンスミュージックの世界を舞台にしたドラマみたいなストーリーがあるから、とても意味深い曲だった。そのまま私がblock.fmで番組をやるのも自然な流れだったと思うの。


- 間違いなくたくさんの人がロンパチでblock.fmを知った気がします。当時パーソナリティーの方もみなさんRemixされていて、旗を振るわけじゃないけど、みんなを接着剤のように繋げてくれたと思います。


カワムラユキ: それはとっても嬉しいことよね。年齢的にもそういうステップだと思うし。


- 過去のインタビューで20代はDJ、30代は制作、40代は場づくりに集中していくというのを見ました。


カワムラユキ: それは最初から思い描いていたことではなかったかもしれない。でも、結局そういうことだったのかな? 後付けの部分もあるけど。正直、自分に自信がないから。今日も家でたくないなーとか、落ち込む時もある。自分を奮い立たせるために音楽やアートの存在が大きかった。花魁の8年間は大変なことも多かったし、自分のエナジーを全てここに捧げてきたから、本当に大変だった。


- 具体的にどういった部分が苦労があったんですか?


カワムラユキ: やっぱり震災の時は本当に大変だった。経験したことのない大きな出来事だから、何が正解か?どうすればいいのか?という部分で色々と悩んだ。花魁や自分のことを求めてくれる人が少しでもいたら、とにかく元気でいるってことが一番大事だと学んだ。まずは身近な人から笑顔にして行くことで人生が始まると思うの。例えば、働いているスタッフが笑ってくれたり、常連さんが笑顔でいてくれたり、些細なことだけれどすごく重要なことよね。




- 8年目でまたものすごくパワーを感じますね。花魁の外壁も塗り直したおかげでまたリニューアルした感じも凄く伝わります。


カワムラユキ: まだまだ花魁には沢山の可能性があるよね。一緒に仕事をしてるスタッフも、若い頃にダンスフロアで出会って関係が続いてる人も多い。多くを語らなくてもわかりあえるっていう人間関係がある。そういうチームを作れたのは本当に恵まれてるなと感じてる。その繋がりをもっともっと強くしていきたいな。


- 花魁のステッカーも8を横にして無限のマークを連想させますね。


カワムラユキ: RAVEっぽいでしょ(笑)。アイデアは花魁の店長が考えたんだけど、初めからただ「8」っていう数字を使うわけないよね? そういうちょっとしたアイデアや阿吽の呼吸がある部分もお店にはすごい大事な感覚だと思う。


- 今後花魁と関連して何かやっていきたいことやプロジェクトなどはありますか?


カワムラユキ: まずレーベル「OIRAN MUSIC」を通して、しぶや花魁に集まる才能のあるアーティストの作品を残していきたい。そして、イベントや空間のプロデュースに携わっていく。例えばSakiko Osawaだったら、アジアや日本を代表するアーティストに育って欲しいなと思う。ナマコプリだったらMOMAや森美術館みたいな世界を代表する美術館に作品を貯蔵してもらいたいし。私が花魁で描いている様々なアートの形やプロデュースのチカラを様々な分野に広げて行けたらいいな。やっぱり直感的に惹かれた才能にエナジーを注ぎ込むことを今も大事にしているから。自分の友人がね、ファッション・ブランドを立ち上げたの。今年は日本のファッション・ウィークに出ていたけれど、いつかパリコレができるように祈っているし、そのブランドのことを私は本当に凄い!って思っている。そういうことに対して惜しみない愛とエネルギーを捧げゆくべきよね。自分の身の回りで奇跡のようなアクションが起こったら、それって本当に素晴らしいことじゃない?


- 話を聞いていると音楽に限らず、人やアートをジャンルを超えてミックスして、それが違和感なく紡がれてゆく姿はある意味凄くDJ的な考え方だなと感じました。


カワムラユキ: DJはレコードとレコード、つまり記録と記録を繋ぐわけよね。もちろん全てが噛み合うわけではなく、たまに混じり合わないこともあるけれど。ミックスアップ出来た時の無限の可能性というか、無限の才能が開花した瞬間に立ち会えたら最高だよね?人生を楽しむことに後ろめたくなって欲しくない!やっぱり最後は「誇りを持って遊びましょう」ってコトバに繋がっていくんだよね。





渋谷発のウォームアップ・バー「しぶや花魁 」から発信されるトーク&DJミックスプログラム「shibuya OIRAN warm up Radio」は毎週金曜日、夜20時から放送中!

https://block.fm/radios/17




written and photo by M.A

SHARE