ミニマルハウス/テクノDJ日本代表・Fumiya Tanaka(田中フミヤ)

長年シーンを支えて来たFumiya Tanakaについて知ろう
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2018.06.09 12:04

25年間トップで活躍


1972年生まれの日本人DJ・Fumiya Tanakaは20歳の頃にプロとしてのキャリアをスタートさせて以来、国内外にて約25年間活躍し続けている世界的なDJである。2011年からはベルリンに拠点を置くFumiya Tanakaとは一体どんな人物で、どれほどすごい人物であるのかみていこう。


世界的DJ・Fumiya Tanakaの生い立ちから初期の活動




Fumiya Tanaka(田中フミヤ)というDJは、1972年5月に京都府の福知山市で生まれた日本人DJである。その後、地元京都にて10代の頃からパンクバンドを組むようになり、10代後半からはクラブ文化にも興味を持ち始める。そして、1990年夏にDJをはじめて、20歳になった1992年夏から大阪にてプロのDJとして働き始める。1993年秋には若干21歳にてセルフレーベル・TOREMA RECORDS(とれまレコード)を設立して3曲入りの初作品「Green Tower」を発表。また、1994年には大阪で"CHAOS WEST"、東京にて"DISTORTION"というイベントをスタートさせて国内でのカリスマ性を高めていく。その他、当時「N.O.」というシングルが大ヒットしたことにより、人気絶頂であった電気グルーヴの5thアルバム「DRAGON」発売記念のツアーに参加して事によって、電気グルーヴのコアなファンにはよく知られる存在となった。


1995年は、引き続き自身のインディーズレーベルから国内で作品を精力的に発表していき、秋には拠点を大阪から東京に移した。同時に海外での活動をスタートさせて、1995年秋には海外での初ツアーを敢行。早くも海外の雑誌のアンケートにて、好きなDJランキングで上位にランクインするほどの人気を獲得する。一方、国内では1997年夏には大阪開催"CHAOS WEST"、東京開催の"DISTORTION"というイベントを終了させ、翌年からは東京にて「Mask」という新イベントを立ち上げる。


KARAFUTOという名義でも活動し始める




Fumiya Tanakaは、別の名義での活動も行っており、1996年からは「KARAFUTO」というアーティストネームとしても活動開始。これまでに1996年春に「KARAFUTO」という初作品をリリースしたのを皮切りに、1998年10月には「Shadow」、1999年11月には「Light Blue」をリリース。2000年初頭にもこの名義にて多数の作品をリリースしており、それぞれの作品が高い評価を受けている。また、KARAFUTOの他に"Individual Orchestra"という名義でも活動しており、この名義でのワンマンライブも開催したことがある。


2000年代のFumiya Tanaka


続いて2000年代以降のFumiya Tanakaの活躍ぶりを紹介する。1998年にスタートしたイベント「MASK」は2001年2月に終了し、2001年春には新たなイベントで現在まで長く続いている「CHAOS」を渋谷のリキッドルームにて初開催。その後、いくつかの場所でハイペースにこの「CHAOS」というイベントを開催することによって、ますます国内では影響力の高いDJとなっていった。2008年からは「Sundance」というレーベルも別途スタートし、2009年以降は、TOREMA RECORDSではなく、こちらのレーベルからも多数の作品を発表してきた。


2010年代のFumiya Tanaka


2010年に入ってからのFumiya Tanakaの活動はますますグローバルになっていく。日本では2000年代にトップに上り詰めたため、2011年にはより世界で活躍するために活動の拠点を東京からドイツのベルリンに移してドイツでだけでなく、アメリカ・イギリスなど世界各国にてプレイを披露。年々世界での地位も高まっているが、日本での活動を完全にやめたわけではなく「CHAOS」という2001年スタートのイベントを今でも東京にて開催。プロとして活動し始めてから25年活躍し続けているが、海外でのキャリアはまだスタートを切ったばかりのため、今後はますますの海外での活躍に期待したい注目のDJだ。




Photo: https://www.facebook.com/fumiyatanakasundance/

Written by 編集部

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