DJ SHIKISAIに訊く、80年代の流行と現在進行系の“ハイエナジー”

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「ハイエナジー」と聞いて、どんなサウンドかパッと思い浮かぶだろうか。若い人は特に聞き馴染みのないジャンルかもしれないが、1980年代初期に流行したサウンドである。最近このハイエナジーの楽曲を、都内のクラブで活躍中のDJ SHIKISAIがEPでリリースしたという。ディスコの歴史に造詣が深いというDJ SHIKISAIに、ハイエナジーはどういった背景を持った音楽なのかインタビューを行ったところ、当時のNYの様子から現在進行系の使われ方まで非常に貴重な話を聞くことができた。
DJ SHIKISAI
2003年からDJとして鹿児島県は奄美大島で活動をスタート。2008年からは活動拠点を東京に移す。20代にして15年を越えるキャリアを持ち、UpliftingなHouse&Discoを中心にプレイ。活動はクラブ内に留まらず、プライベートプールパーティー、さらにはラジオでのミックスショーまで、幅広いベニューでプレイしてきた実績を持つ。青山蜂にて奇数月第2日曜日のアフターアワーズ【Lotta Love】青山Tunnelにてほぼ毎週日曜日【Tunnel Sunday】を展開中。2019年、瀧澤賢太郎主宰レーベルHaus It Feelin'よりデビュー作「Diesel Disco Club Theme」をリリース。
DJ SHIKISAIが選ぶ、3枚の“ハイエナジー”
まずはハイエナジーを説明してもらう上で、DJ SHIKISAI本人に思い入れの深いレコードを3枚選んでもらった。
ハイエナジーを代表する楽曲|Donna Summer「I Feel Love(Patrick Cowley Remix)」
SHIKISAI(以下、S):「ハイエナジーってどういう音楽?」って聞かれたときにまず自分が挙げる曲のひとつがこれ。元々77年に発売された曲なのですが、こちらはPatrick Cowleyっていう人のリミックスバージョン。Sylvesterっていうアーティストのプロデューサーなんですけど、原曲のパーカッションとかボーカルとかトラック別のデータが入手できず、短いシングルバージョンを自分でエディット、更にキーボードを弾いてリミックスとして完成させたそうです。78年にブートレッグで、後に正式にリリースされました。
この曲は、ハイエナジーの元祖のような曲で。そもそもどうやってハイエナジーが生まれたかというと、1979年にディスコ・サックス・ムーブメント(反ディスコ運動)がアメリカで起こって、一旦ディスコが衰退したんです。その後ディスコはエレクトロとかガラージとか色々なジャンルに生まれ変わったんですけど、ハイエナジーはユーロ・ディスコからの発展で生まれました。白人が好むアッパーなダンスミュージックで、83年くらいから爆発的に流行したみたいです。このI Feel LoveのベースラインはEDMサウンドにも通ずるものがありますよね。
制作で影響を受けた楽曲|Sylvester with Patrick Cowley「Do Ya Wanna Funk」
S:今日持ってきたのはオリジナルではなく、国内盤の12インチなんです。片面が、さっきも紹介したPatrick CowleyプロデュースのSylvester「Do Ya Wanna Funk」、裏面がPatrick Cowley本人のアルバムから「Mind Warp」っていう2曲を国内独自にカップリングした1枚。今回紹介したいのは「Do Ya Wanna Funk」の方です。2017年のリリースでフロアヒットしたPurple Disco Machineの「Body Funk」の元ネタなんですよ。ビートの部分からモロ使いなので聴き比べてみてください。
この曲は今回の制作中に、行き詰まったら聴いてすごく参考にした曲ですね。シンセのソロパートとかインスパイアされました。大箱で聴くと楽しそうなフレーズで、アッパーに作られてるので誰でも手があがるんですよね。昔からDJでもよくプレイしていて、とにかく酔っ払うとすぐかけちゃう(笑)。フレーズも景気が良い感じだし、サビはみんなで手を叩くところがあったりとにかくキャッチーな曲ですね。
新世代の衝撃を受けた楽曲|Fun Fun「Baila Bolero」
S:86年リリースの、ハイエナジーがユーロビートっていう言葉に変わった頃の曲です。ユーロビートっていう言い方は日本くらいしか使ってなくて、海外だとイタロ・ディスコって言われてますかね。
去年の6月にオーストラリア人のCC:DISCO!っていう女性DJが来日したイベントがあったんです。彼女はテクノからアフロ・ハウスっぽい曲まで、幅広い選曲をしていたんですけど、セットの終わり近くでこの曲をいきなりかけたんです。もうブースまで駆け寄って、ひざまずいて握手を求めたくらい感動しちゃって。いわゆるユーロビートのDJとかオールドスクールなハイエナジーのDJがかける文脈だと思っていたので、すごい衝撃でしたよ。ハウスやテクノがかかったあとにこの曲がかかるっていう。
Boilor RoomでもPalms Traxがかけてて。ニューディスコとかアシッドハウスをかけたあとにこの曲をドカンと。それで会場がめちゃくちゃ盛り上がってたんですよ。僕は、こういう曲はある程度状況を整えてものすごく緊張しながらかけるタイプなので、そういう発想は全くなかったというか。最近だとCYKっていうクルーのNARI君とかもガンガンぶち込んでたし。だからそういうプレイがスタンダードになって来てるのは新世代の感覚を感じますよね。
S:こうやってハイエナジーを紹介するにあたってお話したいのが、中村直さんにお聞きした当時のNYの様子なんです。直さんはもう亡くなられてるんですが、日本人としてNYで活躍されたレジェンド的なDJ。80年代のNYで黒人に最も人気があったディスコクラブが「Paradise Garage」、白人に最も人気があったディスコクラブが「THE SAINT」なんですが、その「THE SAINT」でレジデントDJをやっていたのが直さんです。
「THE SAINT」は白人の考える「美の最高峰」を作り上げていたようで、天井は一面プラネタリウムのドームになっていたとか。お客さんにはほとんど照明があたらず、天井に照明があたるような演出で、フライヤーにはその日のレジデントDJと一緒に、ライティングマンの名前が書いてあったそうです。そのライティングマンもヘッドホンをしていて、DJが次にかける曲に合わせてライティングをする。その感覚を高橋透さんの本では「光が音を出してる感覚になる」って書いてありましたね。
プレイされる音も当時最先端だった、白人の好きなすごくテンポの速いダンスミュージック。実はその頃のテープがMixcloudとかSoundCloudに結構上がってるんですよ。Warren GluckっていうTHE SAINTのレジデントDJのテープを見つけたんですけど、とにかくミックスがめちゃめちゃ上手くて。当時はMIDIとかが出たばっかりなんで曲のテンポも一定じゃないから揺れるんですけど、それを完璧にミキシングしてるんです。中村直さんも、当時のDJは上手かったということをおっしゃってました。
Paradise Garageは日本語での文献がいっぱいあるんですが、THE SAINTはあまりないんですよ。さっき言った高橋透さんの「DJバカ一代」にはTHE SAINTの話が載ってたのですごく貴重な資料だと思います。当時のプレイリストを読んだり、当時を知ってる直さんに聞いたりして、どんどんそういうサウンドを追い求めるようになりましたね。大箱でプラネタリウムがあって、そこで大きな音で鳴ってて…っていうのを想像すると、ものすごくかっこよく聴こえるんですよ。出来ることなら体感してみたかったですね。
「ハイエナジーを作ろうなんて思ってなかった」デビューEP制作秘話
ディスコ、そしてハイエナジーに詳しいDJ SHIKISAIだが、デビューEPとしてそもそもハイエナジーを作ろうとは思っていなかったようだ。彼が歩んできた音楽のバックグラウンドとEPの制作についても話を聞くことができた。
ーDJを始めたきっかけは?最初からディスコのDJだったんでしょうか。
S:僕の出身は奄美大島なんですが、シーンがすごく小さいんですよね。だから、ハウスのDJがレゲエのパーティーでダンス・クラシックスをかけたりとか、レゲエのDJがハウスのパーティーでダブをプレイするとかが当たり前にある環境だったんです。
ディスコとの出会いは、13歳の時。野外のハウスパーティーがあって、中学校の副担任の先生に連れて行ってもらったんですよ(笑)。夜中なんだけどどうしても行きたいって言って。そのパーティーをやってたのが僕のお師匠筋にあたるDJ KINGっていうDJ。元々東京でDJをしていて、その後奄美大島に帰ってきて少しずつハウスシーンを作ってきた人なんです。DJ KINGとKitoshi Yasuda、Higakinっていう3人のDJが、ハウスで言えば一番影響を受けた人ですね。そのパーティーでもその3人が回していて、ハウスからディスコに繋げていく流れにすごく感動しました。古いディスコとハウスミュージックが繋がってるなんて、まだ13歳には理解できなかったんですけど。
ーそのパーティーのあと、DJを始めたんですか?
S:はい。14歳のときにnumarkのターンテーブル2台と、アメリカンオーディオのミキサーを買って。やることもなかったので、休みの日は8時間くらいDJやってましたね。さっきも言ったように小さいコミュニティでいろんな音楽が聴けるような環境だったので、色んなジャンルを聴いていました。DJもヒップホップ、ハウス、レゲエ、トランスとか色々かけてましたね。
ーそれから東京に出てこられて、東京でDJ活動を。
S:18歳で東京に出てきて、いろんな場所でいろんな音楽をかけてきましたね。DJだけじゃなく、制作もずっと続けてました。
ーそれで今回の「Diesel Disco Club Theme」が初のリリースになると。元々「ハイエナジーを作ろう」っていうのは思ってたんですか?
S:いや、全然違います。制作の合間の息抜き程度に、シンセとかカウベルを入れて遊びで作ってたんですよ。Haus it Feelin'?のレーベルオーナーの瀧澤にはUKガラージとか、バレアリックハウスとかいろんなデモを送っていたんです。そんな中、遊びで作った今回の曲をインスタのストーリーズに上げたら、瀧澤が「これがいい」と。永久に眠ってたかもしれないぐらいの1曲だったので、自分でも正直びっくりしてますね。
ーデモを出した曲ではなかったんですね。歌もご自身で歌われたとか。
S:そうです。デモの納期の直前に韓国でDJする機会があって、その時にかけてみたんです。そのときはまだインストで、フロアリアクションはよかったんですがもう一癖ほしい感じがあって。で、いろんな人にデモを送ってフィードバックを貰う中、eneレーベルを主宰しているDJ CHIDAさんっていう方に「すごくいいんだけど、歌わないの?」って言われて。もちろん予算がないので自分で歌うしかないですし、いざ歌ったとして、DJ中に歌を求められることになるだろうなってことですごく葛藤があったんですよ。ライブとDJって別にしたいと思ってて、自分の曲を歌った後に何をかけたら良いかわからないし(笑)。
ー葛藤がありつつも、ご自身で歌うことに決めたと。
S:3日くらい悩んで決めましたね。1%っていうヒップホップ系のプロダクションに所属してるAbe Mariaちゃんっていう子にリリックを頼みました。デモは先に渡して、2人で話しながら書こうってことで3時間スタジオにこもって。DJがどんなタイミングでも迷わずかけられるよう、「ダンスフロアでダンスしたい」っていうシンプルなコンセプトの曲にってお願いしたんです。
ー聴いていると、フロアで大合唱が起こるようなイメージがします。
S:そうなんです。全員が口にしやすいようなワードを選んだり、リフレインも同じワードを使うようにしたので。たまたまスタジオがあいてたので、歌詞が出来上がってすぐにレコーディングも行ったんです。Abeちゃんにボーカルディレクションまで全部やってもらって。その後Onibabakoさんっていう方にトラックダウンとマスタリングをお願いして、そこでも色々とアドバイスをもらって今の形になったんですよね。
ーMeebee Remixはまた違う雰囲気で素敵でした。
S:アボカズヒロ君っていうプロデューサーにお願いしました。元々僕がアボ君を知ったのは13歳くらいのときで、大学生のアボ君が書いてたブログのファンだったんですよ。その5年後に、自由が丘にあったACID PANDA CAFEで初めて出会いました。それから12年経った今、今度はリミックスで参加してもらえて。原曲とは違う、NYハウスマナーというかディープハウスっぽい仕上がりになってます。原曲よりエモ度が上がってますよね。
ーこれからも定期的にリリースは続けていくんですか?
S:今年の夏に今回の曲のリミックスが出ます。レーベルオーナー瀧澤賢太郎と、CHEMISTRYのリミックス等で活躍中のT-Grooveにお願いしました。あとは新しくデモも作ってるので、秋ぐらいにまた出せるかな。ボーカリストとしても、機会があれば(笑)。
【リリース情報】
Diesel Disco Club Theme - DJ SHIKISAI
1. Diesel Disco Club Theme
2. Diesel Disco Club Theme - Meebee Remix
3. Diesel Disco Club Theme - Inst Mix
【イベント情報】
7/14(Sun.)Lotta Love 1st Anniversary at青山蜂
7/21(Sun.) at青山Tunnel
7/28(Sun.)at青山Tunnel
8/9(Fri.)at埼玉清水園ベリーニ
8/30(Fri.)XO at新宿Aisotope Lounge
8/31(Sat.)at新宿Eagle Tokyo Blue
Photo by Ki Yuu
written by Moemi