アカデミー賞受賞作! 映画『インターステラー』でクリストファー・ノーラン監督が到達した境地

『インターステラー』から見えてくる世界観。2014年に公開され、今尚愛されるSF映画。
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2019.01.06 02:30

人類の最大の挑戦は、地球を救うことではない。


「人類の次なる挑戦は、我々にとって最大の挑戦となる」「人類が地球に産まれたのは、そこで滅びるためではない」心震わすキャッチコピーが印象的なその映画は、クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)監督の『インターステラー(Interstellar)』だ。




アド・アストラ ~砂塵から星空へ~


映画『インターステラー』の冒頭は、砂漠化したアメリカの描き出しから始まる。これは実はただの空想物語ではない。実際に、アメリカが砂漠化する事象”ダストボウル”は過去に起こったことがある。劇中ではそれが再び、しかも次は完治不能という不可逆的な状態で地球を襲っているのだ。作物が育たず、人々は家々の隙間から肺まで容赦なく侵入してくる砂塵に抵抗しながら暮らしている。そんな未来である。

 

主人公クーパーはかつて宇宙飛行士でありながら、今では家族を養うため作物を育てる農家である。彼は義理の父、そして堅実な息子と利発な娘とともに暮らしていた。ある日、娘の部屋で起きたポルターガイストが外宇宙からのメッセージであり、そのメッセージに従い彼はNASAの施設に行き着く。そこで彼はかつての恩師と出会い、こう告げられる。


「家族を助けるために、家族と別れるのだ。クーパー」


恩師が告げた家族を救う方法とは、手遅れの地球を捨て、別の惑星に新たなる人類の母星を探すことだった。




ノーランの描くイカレた主人公


クーパーは悩むが、宇宙に行くことを決断する。ここに、ノーランらしさがある。これまでのノーラン映画の主人公は言葉悪いが、皆イカレた人物だった。『ダークナイト』バットマン然り、『プレステージ』の2人のマジシャン然り。”理性的に何かに取り憑かれた男”がその主人公なのである。そしてそれはこの『インターステラー』でも例外ではない。

 

クーパーはかなり家族愛の深い男で、今作においてノーランはかなりこれまでの主人公像を抑えることに成功しているが、しかしながらやはり主人公はイカレていることがわかる。どこに家族を救うために、家族を捨てインターステラー(惑星間)の旅に出るなどという選択を選ぶ家族愛の深い男がいるだろうか? 彼は十二分に理性的なだけなのか? 答えは否である。クーパーは宇宙へ行くことを、どこか心待ちにしているところがあったからだ。

 

にもかかわらずこの映画、およびノーラン作品での主人公がただの自己中心的人物でないのは、ひとえに彼らが常に自らにも犠牲を強いているからである。



空間と時間の狭間で


ノーランの映画のもうひとつの特徴が、理性的な現実さである。それは前述した犠牲を主人公に迫り、安易なハッピーエンドを認めない。過去作『インセプション』までは少なくともそうであった。『インターステラー』の前作、『ダークナイト ライジング』ではハッピーエンドを迎えたとはいえ、どこかビターな面持ちもあった。


既に主人公のクーパーは、宇宙に旅立つ前から犠牲を強いられる。娘が旅立つことを認めてくれず、無情に空へのカウントダウンがその間を引き裂くからだ。その後の宇宙の旅も、もちろん過酷なものである。空間的に引き裂かれたクーパーは、時間的にも家族と引き裂かれる。彼らが旅立った外宇宙の時間は、地球とは進み方が違うのである。

 

彼の敵はそれだけではない。この映画、というよりもノーラン作品には分かりやすい悪役というのは存在しない。ただ、人間の持つ、いち部分が敵として発露するのである。それは人間性の弱さであったり、強さとなって他人を攻撃することもある。作中では地球から遠く離れたノーマンズ・スカイが舞台であるが、ノーランが絶えず人間の業を主題とし、それを主人公が背負う限り、彼はまた常に人間自身とも戦うことになる。

 

加えて継続して、空間と時間とも苦闘しながら旅を進めるクーパー。彼は果たして旅の終わりに到達できるのだろうか。そして旅の終わりはいかなるものであるのか。この映画は空間、時間、惑星間(インターステラー)、そして人間の物語である。



written by 編集部


photo: youtube


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