日米の文化を知るアーティストに訊く「Nワード」のリアル

Nワードはなぜ使ってはいけないのか。日本とアメリカ、両方の文化を知るDuke of HarajukuとDJ K.DA.Bにリアルな意見を訊いた。背景にある歴史と人種差別問題を考える。
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2019.09.25 09:00

本稿は世界的に議論がされている“誰がNワードを話していいのか”という主旨の記事ではない。歴史や背景を踏まえつつ、なぜ言ってはいけない言葉とされているのかを解説するのが目的だ。

現在進行系で続く人種差別の歴史を知る


Photo:Allie Smith on Unsplash

Nワードはアフリカ系アメリカ人(今では黒人という言葉も表記されることが少なくなっている。本来、黒人というとアフリカ系だけに限らず多様なルーツを持つが、便宜上、本稿ではアフリカ系アメリカ人に統一する)に対する差別用語である。アフリカ系アメリカ人のラッパーたちや、地域のアフリカ系のコミュニティに根づいた人々(フッドのブラザーたち)の間ではそれを逆手にとり、スラングとして使っている。日本語で言うなら“血を分けた仲間”といったニュアンスの、強い結束や信頼関係を意味する。


したがって、ラッパーの楽曲の歌詞や曲名にも含まれていることが多い。そのため、そのような人種差別的文化側面に疎い人にとっては、その言葉の本質を理解しないまま、「差別的な意図はない」「リスペクトを持っている」などの理由で、簡単に口にしてしまう者もいる。そして、その度に識者が注意喚起するという事態が頻繁に起こっている。


Kendrick Lamar「m.A.A.d. City」歌い直し事件


Nワードにまつわる特徴的な事案は昨年のKendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)の公演が記憶に新しい。ニュースにもなったので知っている人も多いと思うが、2018年5月、アラバマ州で行われた「ハングアウトフェスティバル」で、「m.A.A.d. City」をパフォーマンスする際、Kendrickはオーディエンスの1人をステージに上げた。ステージに上がったその女性が、うっかりそのまま歌詞通りにNワードを歌ってしまったのだ。


Kendrickは演奏を止めて注意を促した。ファンの女性は最初、その意味に気づかず、注意されてはじめて「歌詞の通りに歌ってしまった」と反省。2回目はNワードを避けて、Kendrickとともに無事パフォーマンスを完遂したが、この出来事はNワードの使用について議論を呼ぶ事例のひとつとなった。




ラッパーたちのNワードとその影響


この件の後日談として、NワードについてBBCが詳しく取り上げており、この記事のなかでは、「アフリカ系アメリカ人もNワードを使うべきではない」とする意見もある。今、世界的に大きな影響力を持つヒップホップアーティストたちが“自分たちの言葉”として使うことで、それを聴いたさまざまな人種の若い世代がマネをしてしまい、Nワードを口にする一因になっているのでは、という指摘だ。確かに権威あるピューリツァー賞を受賞したKendrickがNワードを歌う影響力は計り知れない。


白人が「Nワード」を歌っていい場合はあるのか|BBC JAPAN


ではなぜ、ラッパーやブラザーたちはNワードを使うのか。これは、今なお続く人種差別問題が深く関連している。


奴隷制時代の“奇妙な果実” とジム・クロウ法


とあるTweetに対して、tokyovitaminのDuke of Harajukuはその歴史を語っている。




Duke of Harajukuが言及しているように、Nワードは奴隷としてアメリカに連れて来られたアフリカ人とその子孫=黒人に対する差別用語だった。どれほど酷い扱いを受けていたのかは、Billy Holiday(ビリー・ホリデイ)が1939年にリリースしている「Strange Fruits」を聴けば分かる通り。タイトルとなっている“奇妙な果実”とは、殺されて木に吊された黒人の死体を指していることで有名な、黒人差別の歴史を物語る重要な楽曲のひとつだ。




法律によって奴隷の人身売買は違法となるが、奴隷制を存続させるため南部11州が合衆国から離脱。これにより、1861年から1865年にかけてアメリカ南北戦争が勃発。内戦を経て、1865年から再建を意味する「リコンストラクション期」(1863年の奴隷解放宣言からをリコンストラクション期とする見方も多い)で法整備や課題解決の議論が進むも、1876年から1964年にかけ南部の州はジム・クロウ法という、アフリカ系アメリカ人に対する差別的な法律を作った。南部に存在した公共施設の利用を禁止・制限することをはじめとした差別的な州法の総称だ。州によって内容はさまざまだがとにかく酷い。


挙げていくとキリがないが、例えば、アラバマ州では白人女性の看護師がいる病院には、黒人男性は患者として立ち入れない。バス停留所には白人用と有色人種用の2つの待合場が設けられ、乗車券売り場も別。


フロリダでは、白人と黒人の結婚は禁止。交際においても同棲や同じ部屋で一晩過ごすことは禁止。これを破ると禁固刑や罰金刑に処される。


ミシシッピではパンフレットなどの配布物、出版物、公共の場での演説で平等や異人種間結婚を推奨するようなことをすれば、6か月以下の懲役、罰金刑、などだ。


混血に対するヘイトと、今も生き続けるKKK


このジム・クロウ法には人種差別法を基にした「ワンドロップ・ルール」というのがあり、アフリカ系アメリカ人の血が一滴でも混じっていれば、差別の対象とされてしまう。フロリダの州法では、4世代前までに黒人の血が一人でも含まれていると、純粋な黒人と同様の扱いにされていたという。そして、これはかつてインディアンと呼ばれていたネイティヴ・アメリカンや、ラテンアメリカンといったいわゆる“ブラウン”、アジア系の“イエロー”、あらゆる有色人種との混血に適用されるというおぞましいものだった。


そしてリコンストラクション期に登場するのがKKK、白人至上主義秘密結社Ku Klux Klan(クー・クラックス・クラン)である。この人たちは、とにかくアフリカ系アメリカ人をはじめとした有色人種を忌むべき対象にしており、リコンストラクションでの奴隷解放に対して、暴力による闘争と反対運動を行った。覆面をかぶり、集会を開き、集団で有色人種に暴行を加える。だいぶソフトな表現で書いているが、殺人すらいとわない過激な民族至上主義集団である。


ジム・クロウ法は1964年、Lyndon Baines Johnson(リンドン・ベインズ・ジョンソン)第36代アメリカ大統領の就任とともに制定、施行された公民権法により廃止された。しかしご存じの通り、差別がなくなったわけではない。KKKは今もなお存在しているし、アメリカにおける人種間の闘争は後を絶たない。Spike Lee(スパイク・リー)監督の『BlacKkKlansman』では、タチの悪い冗談のようなKKKによる人種差別がシニカルに描かれていたが、エンディングに戦慄した人は多いだろう。


この映画ではアフリカ系だけでなくユダヤ系など他の人種についての葛藤も描かれ、ブラックコミュニティとホワイトコミュニティ、両者の視点から、今のアメリカに通ずる分断を見事に映像化している映画である。




決して映画の中での話や、過去の話ではない。アフリカ系アメリカ人の少年を白人警官が有無をいわさず射殺してしまうなど、現在も続く不当な暴力に対して「BLACK LIVES MATTER」という団体運動がここ数年で活発化した。この抗議活動は、エンタメ業界にも影響を及ぼし、セレブやアーティストを巻き込んだ人種差別問題の大きなトピックのひとつとなった。差別的用語のNワードは決して過去の物ではないのだ。


こうした歴史背景の上で、アフリカ系アメリカ人たちはNワードの発音と表記を変えて、自分たちを表現する言葉のひとつとしてそれを使っている。だが決してそれはクールなものではなく、差別の歴史によって生み出され、今もなお続く人種差別を象徴するものといえるだろう。





Nワードについて、リアルな声を聞く


特にヒップホップが好きな人は、音楽やファッションを通じてさまざまなルーツを持つ友人、知人と交流する機会は少なくないだろう。意識せずともNワードと比較的近い距離にいると言っていい。日本とアメリカ、その両面の事情に詳しい2人にNワードについて話を聞いた。


質問に応えてくれた識者は東京を拠点にグローバルに活動するtokyovitaminのラッパー、Duke of Harajukuと、もう1人は日本のヒップホップラジオステーション『WREP』でラジオパーソナリティを務め、自身の運営するB Side Newsやblock.fmでもアメリカのヒップホップ関連ニュースを中心に記事を執筆、発信しているDJ K.DA.B(ケーダビー)だ。


アフリカ系アメリカ人の血を引き、ジョージア州から日本へやってきたDuke of Harajukuと、NYでの滞在経験もあるK.DA.Bの2人。ラッパーとDJという視点も踏まえつつ、日常生活と音楽活動をする上でどのような意識を払っているのだろうか。


「ただの言葉かもしれませんが、“ただの言葉”ではない」(Duke of Harajuku)



@dukeofharajuku


Duke of Harajukuはアメリカ南部のジョージア州・アトランタから車で2時間ほどのローマという街で生まれ育った。本人いわく、「田舎の小さい街ですが、おもてなしの心がある街で、居心地がいいです」とのこと。アメリカと日本、その文化の両面に精通しているDuke of HarajukuはNワードについてどう考えているのかを聞いた。


—Nワードについて、アフリカ系アメリカ人以外の人種の方が使うことに対してその危険性を教えてください。


Duke of Harajuku(以下:Duke):奴隷の歴史があるなかで、テレビ番組で白人がNワードを口にしてるシーンが流れるとしたら、それは単純によく見えない。基本的にアフリカ系アメリカ人以外の人は使わない。例外的にアフリカ系じゃない人も使っています。例えば、黒人同士と同じゲットー、フッドで生まれ育って同じ苦労を経験してきたら(貧乏だったり、何もない家庭)白人でもスパニッシュ(ラテン)系アメリカ人でもアジア系でも使ってる。使ってると言っても、その地元の仲間としか使わない。なぜかというと、他人はその人のルーツがわからないし、他人に使ったら怒る可能性は高いという意識が皆にある。社会全体の常識になっています。


あと、スパニッシュ系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人は、互いに社会的地位が低かった。人種間の対立を煽るわけじゃないけど、事実としてその対抗意識からNワードを言うスパニッシュ系アメリカ人が多いです。


日本人の方々はアメリカのような多人種の差別文化とともに育っていません。アメリカ人でもなければ黒人でもないので、直接、この問題に関わるような経験がある人は、比較的少ないでしょう。なので、単純に皆、この「Nワード」についてよく知らない、分かっていないだけだと思うんです。俺の意見は単純に知識のひとつとして参考にしてもらえればと思います。正義を押しつけたり、特定の個人を攻撃したり、無知を見下すような意図もありません。知らないままにしてしまうのではなく、言葉の背景や歴史を知ることがまず大切なことだと思います。


—Nワードについて、ラッパー同士、アフリカ系アメリカ人同士がスラングとして使うことについてはどう思いますか? 


Duke:“兄弟”、“仲間”、“相棒”、という意味で使われてるし、逆に怒ってる時も色んな使い方がありますが、もともとは奴隷に対しての悪い呼び方。アフリカ系アメリカ人はその言葉を取り戻して皆を解放したという見方もありますね。とても複雑な言葉です。断言できるのは二つ。ひとつはアフリカ系アメリカ人は、誰しもNワードを一回ぐらい口にしたことがあります。家庭環境にもよります。悪い言葉だから使うな! という家庭もあるし、あったかい気持ちで使ってる家庭もある。皆それぞれ。


二つ目は、知らない人同士、つまり知らないアフリカ系アメリカ人が使ってるのに気づいたら、黒人同士でも嫌な気持ちになります。それに対して、その場で直接何も言わなかったとしても「誰だあいつ」っていう話になるし、嫌悪感を抱きます。


例えば、ラッパーのLogic(ロジック)は黒人と白人のミックスです。彼は黒人のフッドで育ち、ルーツに黒人の血が入っています。家族内でも白人の母親からNワードの差別を受けていたり、仲間内でNワードをよく使ってたし、今でも使ってるとインタビューで話しています。でも彼の見た目、肌は白人としての印象が強い。なので家族じゃない人たちや、仲間じゃない人の前では使わないようにしてるんですね。なぜかというとLogicの育ちやルーツがミックスだということをわからない人、知らない人の前で使うとしたら問題になる可能性が高いというのを彼自身が分かっているからです。このように、ルーツが黒人のミックスでもちゃんと考えて言葉を選べなければいけないケースがあります。




—NワードについてライブやDJプレイに対してアフリカ系アメリカ人以外の人種がシンガロンすることに対してどのような見解を持っていますか? 


Duke:個人的に、こういう時は歌っていいと思う。Nワードについては、人それぞれ色んな意識があります。もちろん俺の意見に反対の人もいます。皆、会話してるときに、自由に言葉を選んで喋れます。それは皆一人ひとりの人間としての権利です。この言葉を口にしちゃダメだよという法律なんかないですから、好きにすればいい。でも、その言葉の背景には色んな事情や歴史がある。ということを分かっていたほうがいい。そこを意識せずNワードを使うことがよくないと思います。


—曲名にNワードが入っている場合、会話のなかで曲名を訪ねられたときや、意識せずNワードを口にしてしまう可能性のある場面で、アフリカ系アメリカ人以外の人がどのような意識を持ち、対処するのが適切だと考えますか?  


Duke:必ず周りを確認してください。怒らない人もいるし怒る人もいる。カッコいいと思っても、気をつけた方がいいと思います。ただの言葉かもしれませんが、“ただの言葉”ではないのです。いちばんいいのは使わないことです。この問題は実際、アフリカ系アメリカ人と話してみないとわからないから、もし周りにアフリカ系アメリカ人がいれば、仲間同士で話してみてください。なんで使わない方がいいのか? なんで使ったら怒られたり殴られたりするのか? それにはちゃんと理由があります。


その歴史は深く、色々なことがあって今、ブラックカルチャーは世界のポップカルチャーになっています。だからこそ、こういう繊細な部分をちゃんと理解しないと前へは進めない。過去の歴史は現代にも響いているのです。



@dukeofharajuku


「呼んでくれているから呼んでいいというわけではない」(DJ K.DA.B)




自身の滞在経験を活かし、NYのDJを日本に招致。ジャパンツアーに同行するなどDJとしての活動を積極的に行いながら、独自の視点でヒップホップ関連ニュースをキュレーションするK.DA.Bに、NワードについてDJとして意識していること、滞在したNYで感じたことを聞いた。


—まず、K.DA.BさんのNY滞在時のことをお聞きしたいのですが、NYでのNワードに関する周囲の認識や意識について、日本とのギャップなど感じたことがあれば教えてください。


K.DA.B:住み始めた当初はアフリカ系アメリカン同士以外、白人やラテン系でも使っている事に多少の違和感はありました。でもコミュニティが同じだったり、溶け込んでいるのなら使う事が自然なのかなと思いましたね。


—Nワードについて、アフリカ系アメリカ人以外の人種の方が使うことに対してどのように思いますか? 


K.DA.B:同じコミュニティで育ったり、相手との関係性の上で特例的にアフリカ系アメリカ人以外の人が使っていることはNYで見ました。かといって公にしていい言葉では決してありません。当然、日本で育った人間として使う事は危険で、Nワードだけでなく、他の国の蔑むような言葉は要注意かと。


—Nワードについて、ヒップホップアーティスト同士、アフリカ系アメリカ人同士がスラングとして使うことについてはどう思いますか?


K.DA.B:最近では$tupid Young(ステューピッド・ヤング)のようにアジア系ラッパーでも使う事が多い気もします。彼の場合はアフリカ系アメリカ人のコミュニティに入り込んでいて実際仲間もほぼアフリカ系アメリカ人なのでしょう。もうひとつは、日本人が“黒人”と認識している中にはアフリカ系ではない人も居ると思うので、当人同士の関係性が1番重要なのかなと思います。何度も言いますが、日本に育った人がNワードを使うことを肯定しているわけではなく、客観的な視点です。




—NワードについてライブやDJプレイに対して、アフリカ系アメリカ人以外の人種がシンガロンすることに対してどのような見解を持っていますか? 


K.DA.B:歌える曲だとしても控えるべきだと思います。それは歌えるからどうこうではなく、彼らに対してのリスペクトを持っていればこそ、歌うべきではないと思います。


—ご自身でもマイクを持ってDJプレイされているK.DA.Bさんが、Nワードについて意識を払ってる部分、気をつけていることはありますか?


K.DA.B:僕はその部分は歌いませんし、マイクでも煽りません。1度だけ、流れで言ってしまった事があってブースにいたアフリカ系アメリカ人が「ハッ」としていました。


—曲名にNワードが入っている場合、会話のなかで曲名を訪ねられたときや、意識せずNワードを口にしてしまう可能性のある場面で、アフリカ系アメリカ人以外の人がどのような意識を持ち、対処するのが適切だと考えますか? 


K.DA.B:曲名に関しては致し方が無い場合もあります。しかし、NワードをYGの「My Hitta」のように言い換えられる場合もあります。日常では使わない言葉ですがクリーンにするために使われました。そういったアメリカのシーンやラッパーの配慮を踏まえると、例え日本人同士の会話においてもNワードは控えるべきです。仲のいいアフリカ系アメリカンにはNワードで呼ばれる事もありますが、呼んでくれているから呼んでいいというわけでは決してありませんので、注意が必要です。会話の中で代用するならば「BRO」が適切でしょうか。


差別する意図があるかないかは関係ない


そのバックボーンや、当人同士の関係性によって使用している場面に出くわす場合もある。しかしそれは公に適用されるわけではなく、あくまでマンツーマン、家族内やよく知る仲間内など限られたコミュニティにおいてのことであり、使うことは控えるべき。言葉の背景や歴史を知らずに無闇にマネをするのは危険。というのがDuke of Harajuku、DJ K.DA.Bの両者に共通する認識だ。


数年前に出回ったイタズラ動画で「N Word Prank」というものがある。これはNickel(5セント硬貨、通称「ニッケル」)を落とし、それをアフリカ系アメリカ人たちがいる前でNワードっぽく発音するというもの。この内容は、タチの悪い冗談として片付けられるものではなく、赤の他人が実際にNワードを使う行為が、どれだけ危険かを示唆している。




先述の通り、アフリカ系アメリカ人同士がNワードを使うこと自体が、軽はずみにNワードを口にする者を増やしてしまうという指摘もある。アフリカ系アメリカ人にとっては悲しき歴史を忘れまいと、自分たちの手でポジティヴに塗り替えようとする思いもあるだろう。これについては議論が必要とされるところであるが、アフリカ系アメリカ人、もしくはその血を引く人が使っていいかどうかということは置いておいて、公の場で安易にこの言葉を口にするべきではないのは明白だ。


黒人公民権運動に大きく貢献した重要人物として挙げられる活動家、Martin Luther King, Jr. (マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)は同じく過激派の活動家として知られるマルコムXとは異なるスタンスをとり、穏健派として知られている人物。彼は「Nothing in all the world is more dangerous than sincere ignorance and conscientious stupidity.(この世で本当の無知と良心的な愚かさほど危険なものはない。)」という格言を遺している。


言葉の誤用、乱用が起きるのは、Nワードについて間違った認識を持っていること、もしくはヒップホップの文化的側面や差別の歴史についての無知が原因のひとつではないだろうか。これを書いている僕自身、まだまだ知らないことは多い。本稿が今までこのようなトピックに興味がなかった人たちにとり、知識を深めるきっかけとなってくれたら嬉しい。差別する意図があるかないかは関係なく、言葉の背景を知れば、憧れや安易に模倣するという選択肢はなくなるのではないだろうか。



written by Tomohisa“Tomy”Mochizuki


photo:Nicole Baster on Unsplash




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