数々の名曲を発表してきた世界的なアーティスト・TOWA TEIの歴史

華麗な歴史をもつ人物
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2020.02.18 02:00

華麗な歴史をもつ人物


TOWA TEI(テイ・トウワ)は日本の音楽界の歴史の中でも特に華麗な経歴を持つアーティスト兼音楽プロデューサーだ。アメリカで活動していた時期にグローバルな活躍をしていた歴史をもつほか、1990年代半ばに日本へ拠点を移してからもプロデューサーとしてたくさんの曲をヒットさせている。そんな彼が辿って来た道を振り返っていく。





TOWA TEIが若い頃に辿ってきた歴史


TOWA TEIというアーティスト・音楽プロデューサーは、東京都で誕生したのち神奈川県内で育った。テイ・トウワという名前は芸名ではなく本名であり、彼は韓国系のルーツをもつ。横浜の県立高校を卒業すると東京の美術系短大に進学したが、この短大時代からシンセサイザーを活用して自宅での本格的な音楽制作活動をスタートさせる。なお少年時代から大のYMOファンで、それが音楽の道に進むきっかけとなった。日本を学生していた時期は尊敬する坂本龍一かNHK-FMでやっていた「サウンドストリート」という番組に対してデモテープを投稿していた事で知られる。


短大を出てからは、YMOのレコードジャケットの仕事をする事を夢見て渡米してアメリカの名門美術大学・パーソンズに入学してデザインの勉強をスタートさせた。それと並行して引き続き音楽制作活動も個人的に続けてきたが、現地では音源を投稿を続けてきた番組のパーソナリティーである坂本龍一とある事がきっかけで接する事に成功する。なお、坂本龍一はTOWA TEIがラジオに投稿してくれていた人物だという事を覚えていた。そして、ラジオ番組における一般投稿をまとめたレコードを発売するのに際し、名門・パーソンズの学生であるテイに対してジャケットデザインのオファーを出す。つまり、学生時代の時点で彼の元々の目標を達成してしまったわけである。さらに発売されたレコードにはテイが制作した音楽も2つ収録される事になり、坂本龍一との出会いがきっかけで彼は進路を方向転換する事を決めた。





Deee-Liteのメンバーとして全米デビューして世界的なグループとなる


そして、パーソンズを出てからは現地を拠点にして本格的にDJとしての活動をはじめる。1990年にはDeee-Lite(ディー・ライト)というハウスミュージックユニットのメンバーとして全米デビューを果たした。ちなみにDeee-Liteのもともとのスペルは"Dee-Lite"であったものの、テイの加入を機に"Deee-Lite"に変わったという歴史がある。テイの加入により一気にパワーアップしたDeee-Liteはファーストアルバムが全米総合チャートで第4位に入ったり英国やオーストラリアでチャート1位を獲得するなど世界的な活躍を見せる。海外で日本のアーティストが大成功した例は長い音楽の歴史の中でとても珍しい出来事であったため、この活躍ぶりは日本でも大きく報道された。


さらにセカンドアルバム『Infinity Within』も世界的なヒットを記録して勢いに乗っていたが、毎日のように同じ曲をプレイする事に嫌気がさし始めていた。そういった気持ちが日々強くなっていき、テイはセカンドアルバム発売後にDeee-Liteを脱退する事を決意する。その後、同じくニューヨークを拠点に活動していた坂本龍一の仕事を手伝うようになり、坂本との距離はどんどん近くなっていった。




GEISHA GIRLSの曲をプロデュース


1993年頃、松本人志・浜田雅功によるお笑いコンビ・ダウンタウンは日本にて一世を風靡していた。そんな松本は次第に海外でも何らかの形で成功したいと思い始めていたが、知人である坂本龍一へとちょっとしたオファーがきっかけで本当に全米デビューが決まる。この時に誕生したのが伝説のユニット「GEISHA GIRLS」で、坂本と弟子のTOWA TEIもメンバーに加わった。日本ではGEISHA GIRLSのメンバーとして坂本とテイが音楽番組に芸者のカツラをかぶってゲスト出演する機会もあり、1994年には日本での知名度が一気に向上する。なおGEISHA GIRLSの代表曲の中では「Kick & Loud」の作曲を手掛けている。


時を同じくしてGEISHA GIRLSのメンバーとして有名になった1994年には日本に拠点を移して、ソロデビューを果たした。翌1995年にはファーストアルバム『フューチャー・リスニング!』の収録曲である「Technova」という曲でシングルデビューも果たしている。この「Technova」という曲は大手アパレルメーカーが全国展開する人気ファッションブランドのCMソングとしてテレビで大量オンエアーされた。1997年に発売されたセカンドアルバム『Sound Museum』はオリコンランキングで上位にランクインし、TOWA TEIはソロ活動においてもブレイクを果たした。


1995年代後半のプロデュース活動としては今田耕司のソロプロジェクト・KOJI-1200(のちにKOJI-12000へと改称)を大成功へと導いたという歴史をもつ。




21世紀における活動


21世紀に入るとTOWA TEIソロ名義での活動ペースは緩やかになっていき、他のアーティストとのコラボや音楽プロデューサーとしての活動が中心となっていく。例えば、2007年にはダウンタウンの松本人志が監督・主演を務めた映画『大日本人』の音楽プロデュースを担当して高い評価を受けた。また数々の大企業のCM曲プロデュースを手掛けてきた歴史をもち、決してオファーが絶える事はない。2000年代半ばからはFUJI ROCK FESTIVALをはじめとした日本の夏フェスにも積極的に出演し、世界最高レベルの技術を活かしてイベントを大いに盛り上げてきた。


その他、2014年からは元YMOの高橋幸宏などと共にMETAFIVEという新バンドのメンバーとしても活動しており、音楽シーンにおける存在感を高めている。




written by 編集部


photo: facebook

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