J Dilla(J・ディラ)が残したビートはHIP HOPのみならず他のジャンルにも影響を与えた

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闘病中も制作を続けたJ Dilla(J・ディラ)
2006年に32歳という若さで亡くなったJ Dillaは、HIP HOPのみならず多くのジャンルに影響を与えている。亡くなる直前まで音楽を作り続けたJ Dillaは、音楽の歴史を語る上でかかすことができない存在だ。J Dillaならではのビートはドラマーにも影響を与え、現在も未発表曲がリリースされている。
生まれた頃から音楽に囲まれた生活をおくる
J Dillaことジェイムズ・デヴィッド・ヤンシーは1974年にデトロイトで生まれた。生まれた頃からジャズが身近にある環境で育ち、ピアノやドラムといった楽器の演奏にも親しんできた。少年時代にHIP HOPを聴いたJ Dillaはユニットを結成し、地元の名プロデューサーを契約をした。
さらにプロのミュージシャンとの演奏活動を始めとして、メジャーデビューの経験もあるアンプ・フィドラーと出会ったことがJ Dillaの運命を動かした。アンプ・フィドラーのスタジオでは若者が機材や楽器の使い方を学び、楽器演奏の経験が豊富だったJ DillaはMPCを使ったトラックメイク術もすぐに習熟した。アンプを通じてJ Dillaの作ったビートは大きく広まり、やがて制作チームであるウマーを結成することになる。
LAに渡ったJ Dilla
レーベルの消滅や契約解除によって、なかなかユニットの作品をリリースする機会に恵まれなかったJ Dillaは最終的にユニットを脱退することになる。その後、初のソロアルバムを制作したり、旧友の作品でプロデュースを手がけるといった活動を行う。
そんな時、D12というグループで成功していたプルーフのスタジオを訪れたJ Dillaはドクタードレーの制作を目の当たりにしたとで衝撃を受ける。
自宅に戻ったJ Dillaはできあがっていたアルバムをすべて捨てて、ドレーに倣い生演奏をベースにループさせたビートを基本にアルバムを全編制作し直した。しかし、このアルバムは契約破棄により当時リリースされることはなかった。失意のJ Dillaは2004年にLAに移り住んだ。この頃には免疫機能に異常を引き起こす難病を医師から宣告され、2006年にこの世を去った。
J Dillaが残した作品について
遺作として知られるDonutsは、J Dillaが病と闘いながら作成した渾身の作品であり、LAに移住した後の集大成のようなアルバムになっている。1分程度の曲が30曲以上収録され曲間がなくサンプリングによって緻密に作られたビートは、現在も色あせておらず影響力を保ち続けている。2016年には10周年記念盤が発売され、ボーナストラックも収録された。
また、Donuts作成後のJ Dillaが亡くなる前まで制作に取り組み、大半を作っていたThe Shiningも後に友人らの尽力により完成された。さらに現在も未発表曲がリリースされ、多くのフォロワーが誕生している。現在はJ Dilla基金も誕生し都市部の学校でJ Dillaの残した遺産を伝える音楽プログラムを実施し、世界各地でHIP HOPイベントを開催している。
J DillaのHIP HOPビートの特徴
J Dillaが作り出すHIP HOPビートの、大きな特徴の1つがドラムサウンドである。HIP HOPだけでなく、エレクトロニックミュージックやジャズといった幅広いジャンルのミュージシャンを刺激した。特にドラマーに与えた影響は深く、J Dillaのようなビートは今日のHIP HOPのスタンダードとなった。
このようなJ DillaビートはMIDIデータを修正したり補正する機能であるクォンタイズを用いないで生み出したものであり、実際のドラマーが演奏しているように聴こえる。また、ミックスのバランスも独特であり、キックの音量が小さい場合もあればスネアが強調されているなど歪だが聴いていて心地のよいバランスが特徴だ。
Photo:https://www.facebook.com/pg/jdillaofficial/photos
Written by 編集部