50 Cent(50セント)銃撃事件を超えて成し遂げたアメリカン・ドリームへの道

50 Cent(50セント)に訪れた悲劇と奇跡
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2018.05.22 02:42


50 Cent(50セント)に訪れた悲劇と奇跡


50 Cent(フィフティーセント)というアメリカ人ラッパーを知っているだろうか。銃撃事件で9ヵ所に銃弾を受けても死なずに栄光を掴んだ恐るべき男である。そんな嘘のような本当の話を地で行く男の半生を駆け足でみて行こう。事実は小説よりも奇なりである。




友達はだいたい悪そなヤツだった


本名はカーティス・ジェームズ・ジャクソン三世、1975年7月6日生まれである。ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区の一角、ジャマイカ地区の出身だ。ジャマイカ地区はクイーンズ区の中でもアフリカ系の多い場所で、遠慮がちに言って治安は余り良くない。特に50 Centの生まれたサウス・ジャマイカは、昼間でもドラッグの取引が行われ、発砲事件も多発する場所だ。


15歳の時に彼を産み、ひとりで育てていた母親の職業はドラッグ・ディーラー。そんな母親も50 Centが8歳の頃に殺人事件の被害者になってしまう。50 Centには元々父親がいなかったので、祖母の家に引き取られた。そんな彼が生きるために12歳で選んだ職業は、母親と同じドラッグ・ディーラーだった。世襲、などと言っている場合ではない。その後闇社会から抜け出すべく、ラップを学んでコロムビア・レコードと契約の運びとなるのだ。1999年に発売されたシングル「How To Rob」では、新人ラッパーが著名ラッパーから、ことごとくを強奪するというセンセーショナルな内容で評判になった。ちなみに50 Centの名前の由来は、かつてニューヨークで、50セントですら奪う為に30人ほどを強盗殺人の犠牲にしたギャング、「ケルビン “50セント” マーティン(Kelvin "50 Cent" Martin)」だ。なんとも物騒である。





事件は2000年に起こった


50 Centが24歳の事である。その時彼は、祖母の家の前で車に乗っていた。そこにやって来た車から降り立った男に、突然銃撃を受けたのだ。白昼堂々の犯行だった。被弾した数は9発。打たれた場所は、腕、脚、腹など全身に及んだ。中でも衝撃的なのは、顔を打たれた事だ。左顎から入った弾が、舌と喉を貫通したのだ。よく生きてたね、と言う他ない。そのせいで声質にも変化が生じるのだが、声を奪われずに済んだのは不幸中の幸いである。銃撃を受けた原因は、発表前の新曲の内容がギャングの逆鱗に触れてしまったからだった。


50 Centは、その歌詞に実際のギャング関係者の名前を使ってしまったのだ。銃撃後、実行犯は死亡し、指示した黒幕は無期懲役の判決を受けて収監中だという。結局、その銃撃事件の後、50 Centはレコード会社から契約を打ち切られ、ブラックリストに載ってしまう。


エミネムとの出会いが50 Centの運命を変えた




そんな彼の苦境を救ったのは、かのエミネムだった。50 Centが作ったミックステープを聴いたエミネムが、声を掛けたのだ。そして、エミネム自信が創ったシェイディ・レコードと、ドクター・ドレーのアフターマス・エンターテインメントが彼との契約を決めた。エミネムとの付き合いは、その後も長く続く事になる。2017年7月6日、エミネムはインスタグラムを通じて、50 Centの誕生日を祝っている。それに対して50 Centもエミネムに謝意を返した。その後2003年、銃撃の経験を踏まえて作られた1stアルバム「Get Rich or Die Tryin」が1100万枚を売り上げ、一躍世界的なラッパーとして脚光を浴びる事になった。このアルバムは、ヒップホップアルバム歴代売上第10位に輝いた。2005年には2ndアルバム「The Massacre」をリリースし、半自伝的映画「Get Rich or Die Tryin」が公開。勿論、主演は本人である。銃撃を受けて生死の境から奇跡の復活を遂げた50 Centは、見事にアメリカン・ドリームを成し遂げたのだ。




Photo:https://www.facebook.com/pg/50cent/photos


Written by 編集部



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