世界三大テクノDJの一人で知られるLaurent Garnier(ローラン・ガルニエ)気になるその活躍とは

Laurent Garnier(ローラン・ガルニエ)は世界三大テクノDJとして音楽界を牽引する
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2018.05.11 06:18


Laurent Garnier(ローラン・ガルニエ)は世界三大テクノDJとして音楽界を牽引する


Laurent Garnierといえば、世界三大テクノDJの一角として有名である。偉大なDJとして多くのファンに親しまれ続けている。その音楽に対する愛情の深さや大きさについては、並々ならぬものがあるとして、多くの人が敬意を表していることでも知られる。その人物像について見てみよう。




Laurent Garnierの存在感は大きい!世界三大テクノDJとして活躍を続ける


世界三大テクノDJとしても知られるLaurent Garnierは、フランスのパリ出身である。その生まれ持った才能を開花させるきっかけにもなったのが、僅か8歳という年齢ではじめることになった音楽である。親が幼少の頃から音楽にふれる生活をさせることで、自然とダンスの感覚が身につくようになり、音楽の世界にのめり込むようになったという経緯をたどったのだ。Laurent Garnierはデヴィッド・ボウイやパンクロックに夢中になりながらも、米国のブラック・ソウル・ディスコの世界にも興味を示すことになる。


世界三大テクノDJとして今では抜群の知名度を誇るLaurent Garnierであるが、意外にも料理の道を目指していたという過去を持っていることでも有名だ。料理を覚えるためにイギリスのロンドンに積極的に出向いていくことになる。ロンドンでは、フランス大使館での勤務に励んでいた。そのフランス大使館での勤務の際には、さまざまな人との交流を盛んに行うようになり、結果として多くの人と親交を深めることになる。そして、1986年にはフランス大使館での勤務を辞めることになる。2年間という短い勤務期間であったが、Laurent Garnierにとっては、後々の音楽人生にとって大きな意味を持つ経験になったといえるのではないだろうか。




1980年代後半には、イギリスのマンチェスターにあるハシエンダでハウスのパーティを始めることになった。この頃からは、DJペドロの名前を使うようになり、次第に頭角を現すようになった。時を同じくして、徴兵制にも駆り出されることになり、一時的に音楽活動の休止を余儀なくされることになるが、その後パリに戻りイベント「wake Up」をスタートした。




コラボレーションや著書も発表! 活躍の幅の広さも光る


世界三大テクノDJと呼ばれるまでになったLaurent Garnierであるが、決してその道のりは平坦なものではなかった。度々のように挫折や困難な事態に遭遇するものの持ち前の音楽センスを武器に乗り越えることに成功した。世界三大テクノDJとも称されるようになったきっかけでもあるのが、A Bout De Souffle EPというシングル作品の発表といえるだろう。この発表をしたのは、1993年であるが、それ以降の活躍ぶりには目を見張るものがある。その翌年の1994年には友人のエリック・モランドと共にFCommunicationsを設立することになった。同年には、ファーストアルバムも発表し、まずまずの売り上げを誇ることに。そして、システム7やカールクレイグらと共に、コラボレーションにも挑戦するなど、活躍の幅を大きく広げている。




Laurent Garnierといえば、日本とゆかりがあることでも知られる。初来日は1996年であり、当時からコアなファンやマニアが日本にも大勢いた。来日の際に行ったイベントでは、想像以上の観客が詰めかけることになった。世界三大テクノDJとして確固たる地位を確立して以降も定期的に来日しており、その実力を余すことなく披露している。新木場や西麻布、苗場スキー場などと、さまざまな場所に出向いては、会場を訪れたファンに対して最高のパフォーマンスで応えている。ファンを大切にする姿勢も称賛に値するといえるのではないだろうか。著書では自伝も発表するなどマルチな才能ぶりにも定評がある。


Photo:https://www.facebook.com/pg/laurentgarnierofficial/photos


Written by 編集部



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