ヒップホップの重鎮! Afrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)

ヒップホップ界を牽引するAfrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)の存在
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2018.05.12 13:07


ヒップホップ界を牽引するAfrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)の存在


アフリカ・バンバータといえば、ヒップホップを語る際には、なくてはならない存在として有名だ。ヒップホップの生みの親といっても過言ではないだろう。アフリカ・バンバータが活躍を続ける原動力となっているのが、幼少期から大きく影響を受けることになった母親と叔父の存在だ。その詳細に迫ってみよう。


ヒップホップの普及に献身的


アフリカ・バンバータが、多くのファンから愛される続けているのは、ヒップホップを全世界に広めることになったその実力の大きさだけが理由ではない。黒人として生まれたことにより、さまざまな体験を積み重ねることになったことをヒップホップに取り入れることにも成功したといえるのではないだろうか。そういう意味では、単なる音楽家としてだけでなく、人間性という面でも優れていることを証明しているのかもしれない。


クール・ハークやグランドマスター・フラッシュとともに、3大DJと称されるアフリカ・バンバータであるが、その存在感をひときわ大きくさせることにもつながったのが、ヒップホップの四大要素を提案した点である。それまでの知識や経験をもとに、要素について的確に表現している点については、多くの賛同を得ることになった。そして、その流れはヒップホップ界に脈々と引き継がれているのも明白だ。アフリカ・バンバータは、四大要素に加えて「知識」という5番目の要素として付け加えたことでも知られる。




ヒップホップの誕生


アフリカ・バンバータが本格的に音楽活動をはじめることになったのは、1970年になってからだ。「ズール・ネイション」と呼ばれるバンドでの活動でも、その抜群の音楽センスを余すことなく披露していた。DJやラップ、グラフィティなどを総称してヒップホップと名付けることになったのもアフリカ・バンバータである。初めてヒップホップという言葉が生まれることになったのが、1974年11月とされており、それにちなんで11月をヒップホップの誕生月とする考え方もある。

アフリカ・バンバータはソウル・ソニック・フォースとともに、1982年に「プラネットロック」という楽曲を発表することになるが、この曲は、その後のヒップホップに大きな影響を与えることになった。




アフリカ旅行が原点に?


「プラネットロック」以外にも多くのヒット作品を手掛けたことで知られるアフリカ・バンバータであるが、その活躍ぶりが他の黒人ミュージシャンにも大きな影響を与えることになったことについては、いうまでないだろう。アフリカ・バンバータの活躍に刺激される形で、黒人系の国々の若者たちが、ミュージシャンを目指すという流れも巻き起こっている。そういう意味では、単なる一アーテイストというだけでなく、後進にも大きな影響力を持つアーテイストということができるのではないだろうか。アフリカ・バンバータは、アパルトヘイト根絶に向けての取り組みにも積極的に取り組んできた。スティーヴ・ヴァン・ザントが中心的な役割を果たすことになった、アパルトヘイトに反対するアーティストたちが作り上げた楽曲である「サン・シティ」のレコーディングにも参加したこでも知られる。


アフリカ・バンバータは、日本にとっても重要なミュージシャンであることはいうまでもない。その影響力の大きさは海をこえた日本でも随所で感じることができる。80年代にアフリカ・バンバータが持っていたラジオ番組のエンディング曲に坂本龍一氏の楽曲が使われていたことにも、日本への思い入れが強いことがうかがわれる。


アフリカ・バンバータが音楽への関心を大きく持つことになったきっかけが、意外にも小学生の時に経験したアフリカ旅行だ。アフリカで見た地域コミュニティのあり方に感銘を受けることになったのだ。そこで、その地域の首長の名前である「バンバータ」とアフリカにちなんで、アフリカ・バンバータという名前が生まれたのである。


Photo:https://www.rollingstone.com/music/news/afrika-bambaataa-calls-sexual-abuse-claims-baseless-and-cowardly-20160412


Written by 編集部



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